「違憲状態」を避けるために、日本でも公衆衛生大学院が増えている
メリージェンの公衆衛生入門を、辞書を片手に読みました。
読んだ人を公衆衛生のとりこにするように、ストーリーを重視し、専門用語や数式を避けて、科学的なエビデンスだけでなく、政治や行政とのかかわりも含めた、大人の記述をしています。
お若けえの、そんなんじゃ世の中は動かねえよ。まあ、この本を読みな。
お前さんの知りたい世間のしきたりや手順が書いてあるぜ。
これで公衆衛生ってえのを勉強したら、少しは賢くなるかも知れねーぜ
と言っているような感じです。
恐縮です。
還暦過ぎてますが、若い気分になってしまいました。
面白いのは、アメリカの憲法には、health(保健)に関する記述がないということです。
そのために、公衆衛生は一義的には州政府が責任を担っています。
その割には、感染症対策を担うCDC、医薬品食品対策を担うFDA、医学研究を担うNIHなどがあるのです。
他に環境保健を担当するEPA,労働安全衛生を担うOHSAといった世界に影響力を持つ連邦政府の専門機関があります。
これらは、憲法違反のような気がするのです。
しかし、「一般の福祉を増進するために」という憲法の前文があり、これが、連邦政府が公衆衛生の役割を果たす根拠になっているとのこと。
米国では公衆衛生が医学から独立しており、公衆衛生大学院が数多く設置されています。
日本は、憲法に公衆衛生が規定されているのにもかかわらず、公衆衛生の専門機関や人材養成体制が貧弱だと思います。
特徴的なのは、公衆衛生が医学の中に押し込められていることです。
憲法に「医学」はないのに、おかしなことです。
日本こそ憲法違反かも?
内務省の衛生局長になる前の後藤新平が衛生局時代に書いたメモがあります。
従来衛生法ハ医学の基礎トシテ発展シ来タリタルガ故ニ、医師ノ狭隘ナル知識ニ伴イ、偏陋ニ陥リ、経済家ノ等閑視スル所トナレリ。
近時ノ衛生法ハ全ク社会経済学ニ欠ク可ラザル要素トナレルヨリ、衛生百般ノ事一新顕象ヲ呈スルニ至レリ。
我日本ニ於テ未ダ其点明カナラザルコト。
思わず笑ってしまいました。
120年たっても我が日本に於いては未だ経済人が見ても面白く読める公衆衛生の本がありません。
メリージェンの公衆衛生入門は1986年に初版本が出ています。
私が医学部の5年の頃で、今から40年ほど前のことです。
6版なのでおよそ6年おきに改訂版が出ています。
メリージェンは医師ではありません。
だから面白いのかもしれない。
パスツールとコッホとリスターの関係が参考になります。
フランスのパスツールは医師ではなく、医学以外にもワインや蚕の病気も解決しています。
ドイツのコッホはねっこからの医師で、医学研究に専念しています。
どちらも巨匠で、その名前の付いた研究所からは、優秀な弟子が誕生しました。
英国の外科医リスターは、パスツールのワインを救った話にヒントを得て、外科手術に使う器具や手術室を消毒しています。
海の向こうの医師ではないパスツールを、生涯の師としています。
英国人は、現実的な思考をします。
近代の公衆衛生は、世界で初めて産業革命が起こった英国から生まれています。
公衆衛生は実践的な学問です。
リアリティのない観念論は誰も読みません。
英国風がいいと思います。
作家新田次郎の息子さんで数学者の藤原正彦さんは、歴史的背景を把握しさえすれば、独創的視点をすぐに得られると言っています。
英国の紳士階級は、論理的な主張ばかりをする者を冷笑します。
英国紳士にとって最も大事なのはユーモアだとのこと。
英国風にリアリズムに徹し、歴史をちりばめ、ユーモアを挟む。
これが新しい公衆衛生のテキストのスタイルだと思います。
メリージェンの公衆衛生の本を読むといろんなことが判ります。
あの公衆衛生の帝国たるアメリカでも、常に「公衆衛生って何?」と問われています。
最初に、「公衆衛生を完全に定義することは困難だ」とことわっています。
公衆衛生のリーダーは、公衆衛生のミッションや、公衆衛生とは何か、なぜ重要なのか、何をしなければならないのかを、公衆衛生人が理解できるように説明するようにと言っています。
そして、1920年にウインズロウがつくった定義を紹介しています。
これは我が国の公衆衛生のテキストにも掲載されています。
メリージェーンが偉いのは、この定義は、今も有効だとしていることと、その後の続きを記載しているところです。
1988年に米国では公衆衛生について再検討がなされています。
そこで、新たに公衆衛生の10個の本質的サービスを定義しています。
【評価】
①地域の健康問題を明確にするために健康の状況を監視すること
②地域の健康問題や健康への脅威を調査すること
【政策形成】
③健康上の課題について、周知、教育し、人々に役割を持たせること。
④健康問題を明確にして解決するために、地域の協力を得ること。
⑤個人及び地域の健康への努力を支援する政策や計画を作成すること。
【保障】
⑥健康を守り、安全を確保するための法律や規則を施行すること。
⑦人々に必要なヘルスサービスをつなげ、利用できない場合はヘルスケアを提供すること。
⑧優秀な公衆衛生とヘルスケアの人材を確保すること。
⑨個人及び集団のヘルスサービスの効果や利用可能性、質について評価すること
【全ての機能へ取組】
⑩ヘルスケアの新しい知見や革新的な解決方法のための研究を行うこと。
日本の公衆衛生のテキストに、こうした記述はありません。
この10個の本質的なサービスを知れば、公衆衛生には行政が不可欠な存在であることが一目瞭然なのになぜ?
医療と公衆衛生の違いとして、医師の治療は結果が明白で感謝されるが、公衆衛生の予防は曖昧で認識するのが難しい。
公衆衛生の政策判断は、物議をかもすとも述べています。
税や個人の自由を制限することもあり、国民と政治家の理解が重要だとも言っています。
公衆衛生を支える科学として、6つの領域を挙げている。
①疫学、②統計学、③生物医学、④社会・行動科学、⑤環境科学、⑥医療制度に係る科学。
きちんと「背骨」になるところを教えていると感じました。
なにより、医学の中に納まっていません。
日本の弱点は、医学の中に公衆衛生学があることです。
むしろ公衆衛生の中に医学があるというのが世界の常識です。
憲法には、公衆衛生はあるが医学や医療はありません。
医学部の中に公衆衛生学がある状態は憲法違反かも。
そうか!
「違憲状態」を避けるために、日本でも公衆衛生大学院が増えてきているのか。
