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生類憐れみの令は「希代の悪法」どころか、おぞましい「修羅の国」を生まれ変わらせるための唯一無二の処方箋だった

室町ワンダーランドーあなたの知らない「もうひとつの日本」(文藝春秋)
という本を読みました。

筆者は清水克行先生で、明治大学商学部教授です。専門は日本中世史です。

室町・戦国時代のヒトと犬の関係について書いてあったので、ご紹介させていただきます。

当時は、ヒトの命すらも軽々しく失われる時代です。

犬の扱いはひどいものでした。

ヒトが犬を面白半分に殺傷することは当たり前でした。

特に鎌倉武士のあいだでは、逃げる犬を的にして馬上から矢を射る犬追物(いぬおうもの)というゲームが、身体の鍛錬を兼ねて大流行していました。

当時の武士たちは街中で野良犬を見つけると、ところかまわず矢を乱射していたらしいのです。

これではヒトも犬も危なっかしくてたまらないもので、北条氏の家訓には、わざわざ、「人の前にいる犬を射てはならない」という一条がありました。

戦国時代の東北時代の戦国大名の伊達家の分国法「塵芥集」の中には次の条文があります。

犬を討つことは、鷹のエサにするのならば問題はない。

ただし、地位のある人の家の門内にまで入って討つころはあってはならない。

この頃は、犬の肉は鷹狩りに使う鷹のエサとして重宝されていました。

そのために犬を殺すのならば問題はない、とされていました。

このようなことがわざわざ書かれているということは、当時、鷹のエサというわけではなく、面白半分に犬を殺害する不届き者も相変わらず多かったのでしょう。

なかには、逃げる犬を追って他人の家にまで押し込み、家の主人とトラブルになるケースもあったようです。

大名の家臣たちの中には、農民の犬を奪って、鷹のエサにするどころか、自分たちでそれを食べる者たちもいました。

古来、日本でも犬は薬と称して食べられてはいましたが、室町時代はこの食犬が流行しました。

犬にとっては大変な受難の時代だったのです。

現代社会でも、猟奇的な殺人を犯す者は、その兆候として動物虐待に手を染めます。

動物の生命を面白半分に奪う者は、やがてヒトの生命も軽んじるようになります。

江戸時代の武士道について書かれた有名な「葉隠(はがくれ)」の中には、このような恐ろしい文が載っています。

ある武士は、親の教育方針で、5歳で犬を斬らされ、15歳で罪人を斬らされる。

昔は、このように十五歳で人の首を斬るのが普通だった。

今どきの親のように、子どものうちから人を斬らさないのは、油断千万な話である。

「しなくても済む」「罪人を斬っても手柄にはならない」「処罰を受ける」「穢れる」と言って斬らせないのはごまかしである。


つまり、武士は幼いうちから人殺しに慣れておかねばダメだという、恐るべき教育方針です。

人殺しのための入り口として、犬殺しが位置づけられているのです。

「犬で練習してから、次はヒトを」ということです。

このような異常な主張がまかり通る社会は、とてもまともなものとは言えません。

江戸幕府の五代将軍徳川綱吉が「生類憐れみの令」を発したのは、こうした社会風潮を改良するためのものだったのです。

生きとし生けるものを大切に。

そして、まずは身近な犬から大切に。

そういう生類憐れの主張は、「希代の悪法」どころか、おぞましい「修羅の国」を生まれ変わらせるための唯一無二の処方箋だったのです。

こうして中世と近世の変わり目で、犬とヒトとの関係性も大きく転換していったのです。

ペットを家族の一員とする今の常識も、その延長線上に生まれたものだと、清水教授はおっしゃっておられます。

すいません。

私は、犬公方と言われた徳川綱吉は、とんでもなく悪い将軍だと誤解しておりました。

そういえば、日本の昔話は、動物を助ける話が多い気がします。

鶴の恩返し。
助けた亀につれられて竜宮場にいく浦島太郎。

こうした昔話は、動物愛護の教育ツールとして機能していたのかもしれません。

予断はよくないですね。

生類憐れみの令がこうした社会風潮を改革するために出されたということは全く知らず、単に自分の子どもを産むために犬を大事にさせた訳ではないことが判って、なんとなく得をした気分となりました。

読書に感謝です。

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