田原総一朗さんは「江藤新平は一言でいえば仕事をやり過ぎた人で、仕事をやりすぎた田中角栄に似ている」といった。
初代司法卿の江藤新平を扱ったNHKの「知恵泉」を録画してビデオで見ました。
テレビ朝日の「朝まで生テレビ」のテーマ曲で、田原総一朗さんがゲストとして登場しました。
おいおいNHKの番組だろうが、とびっくりしました。
番組では、アナウンサーから転身した弁護士の菊間千乃さんと、幕末維新の薩摩藩に詳しい原口泉先生が出演していました。
田原総一朗さんは、「江藤は一言でいえば仕事をやり過ぎた人」と言っていました。
それと「空気を読まない」
「仕事をやりすぎた田中角栄に似ている」という指摘は斬新でした。
田中角栄は議員立法を33本やりました。
事前の調査を徹底的にやったそうです。
田原総一朗さんのインタビューを受ける前に、秘書に「田原の資料を一匁持ってこい」と命じています。
佐賀藩出身の江藤は、明治維新前後に江戸に来て、江戸のことは知らないはずなのに、江戸(東京)の問題点をすぐにとりまとめました。
江藤は、旧幕臣を積極的に活用します。
新政府の人間ですが、仕事をするに当たって出身には全くこだわりませんでした。
ちなみに江藤がとりまとめた東京の問題点は以下のとおりです。
借金苦:江戸の住民の多くが借金生活に苦しんでいる
家賃・地代の高騰:地主が賃貸料を自由に決め、不当な利益をあげている
物価の高騰:仲買人が米を買い占めるなどして価格を操作し、米価が高騰している
行政サービスの不備:特に民間の訴訟が滞り、結論が出ない状況が頻発している
人身売買の横行:明治維新後も、社会的弱者を対象とした人身売買が続いている
後に薩摩藩出身の大久保利通が旧幕臣を使うようになりましたが、これは江藤のやり方をまねしたのだそうです。
空気を読まずに仕事をやりすぎると、さらし首となった江藤のように悲劇的な結末を迎えることがあります。
幕臣の勝海舟も、江藤は実に危ないと評価しています。
あれは驚いた才物だよ。ピリピリしておって、実に危ないよ。だもんだから、大久保の留守中に、何でもかんでも、片っぱしから、自分でさばいて仕舞ったよ。それであとで大久保と仲がわれたよ。そうしてとうとうあんな最期を遂げてしまったがねー。実に気の毒なことをしたよ
江藤は知っていてあえてやりました。
明治2年12月に、地元の佐賀藩士による暗殺未遂事件が起きています。
東京の弁護士事務所の街「虎ノ門」には、巨大な江藤新平遭難の碑があります。
後の世に「司法の独立」の伝統を残しました。
司法省に勤務し、後に明治憲法を起草する井上毅は、こう評価しています。
江藤司法卿、果断鋭為、一挙して進の勢あり、其の章程を作れる、日夕督責、十日にして案成り、四十日にして活版に付するに至る

田原総一朗さんは「自分も空気を読まずにジャーナリスト活動をやってきた」と言っていました。
江藤を取り上げたこの番組のゲストとして、「似た者同志」として、喜んで出演したのだと思います。
このビデオを見たのが4月13日でした。
佐賀の乱の首謀者である江藤が処刑された日だと後で気が付きました。
佐賀の本行寺にある江藤新平の墓を見に行ったことがあります。
晒し首となった江藤新平の墓石を削ったかけらには病気を治す力があると噂になり、墓を削る人がおおぜい訪れて禁止されました。
母が脳卒中で倒れて治療をしているときに、佐賀県庁に出張する機会があり、江藤新平の墓を参りました。
まさか墓石を削ることはしませんでしたが、写真を撮りました。
そのおかげでしょうか、母は命を取り留め、天寿を全うしました。

中西進さんの「辞世のことば」では、江藤新平は奈良時代に非業の死を遂げた有間皇子に例えられています。
有間皇子は、後に大化の改新で政権を握る中大兄皇子と蘇我赤兄の罠にはまって死罪となりました。
中大兄皇子に相当する人物は、大久保利通でしょう。
有間皇子の歌は、二首が万葉集に載せられています。
この歌が私は好きです。
家にあれば笥に盛る飯を草枕 旅にしあれば椎の葉に盛る
赤兄に捕縛されて死罪になる前の護送中に詠んだ歌とされています。
歌に「椎葉」が出てきます。
有間皇子は「天と赤兄知る、吾もはら知らず」
江藤は「唯皇天后土のわが心知るあるのみ」
二人とも、「天が知っている」と言って死罪となりました。
江藤新平の墓の隣には、自民党総裁で総理大臣になった福田赳夫の書による江藤家の墓があります。
田中角栄のライバルだった人物なので、江藤家とどういう関係だったのか興味がありますね。
昔、江藤新平が好きすぎて、小説を書いたことがあります。
長州藩出身の軍人だった山田顕義が、司法の世界に異動したのは、佐賀の乱で江藤新平と会ったことが原因ではないかと推理してみました。
興味がある方は、「異動」をお読みいただければ幸いです。ただし有料ですよ。
佐賀県では、江藤新平の復権プロジェクトが行われており、私も寄付をしました。

