国民皆保険は「強制加入」であり、個人の自由をなによりも尊ぶアメリカ人にとっては魂の琴線に触れる
中世ヨーロッパでは、
キリスト教会組織が医療を司っていました。
12世紀に教会は、
聖職者の医師に対して、外科を禁止しています。
そのため、医師は基本的に内科医で、
もっぱら診断と処方を行いました。
医師の処方に基づき薬種屋が薬を調剤しました。
外科医は、髪を切るか外科手術をしました。
こうした三層構造になっていました。
内科医は大学卒で、ラテン語が読めました。
上流階級の聖職者とされました。
薬種者は、アポセカリーと言われ、ギルドをつくります。
外科医は、床屋と外科に別れていて、内科医よりも身分の低い階層とされました。ラテン語は読めませんでした。
それぞれが縄張り争いをして、組合をつくってそれぞれの開業免許を発行していました。
内科医は、大学が免許を発行していました。
医薬分業は、神聖ローマ皇帝であるフリードリッヒ二世の在位1240年に発せられた医薬品憲章がもとになっています。
医師が薬局を開設することを禁止しました。
一方で、薬剤師が義務を果たさなかった場合は、厳格な罰則を与えることにしました。
この制度が、ヨーロッパ各地に広まっていきました。
ヨーロッパでの医薬分業は、およそ800年の歴史があります。
医師が直接調剤して薬を患者に出していた日本とは、全く違う歴史をもっています。
ヨーロッパでは、古くから薬剤師は、医師から独立した存在です。
ヨーロッパは、もともとは都市が国家でした。
都市国家は、市街地の周辺を城壁で囲まれていました。
都市の中央部に広場があり、広場にはその都市に必要な施設が置かれていました。
都市政府である市庁、ホテル、レストラン、バーの他、その都市で一番の薬局が置かれていました。
今でも中央ヨーロッパでは、旧市街地の中心広場に行くと、中世まで起源を遡れる歴史を誇る薬局があります。
日本でいえば、一番の神社である「一の宮」に似ています。
一の宮の薬局には、天使、ライオン、ワシ、ザリガニ、一角獣などの像がありました。
ザリガニの殻は、当時は薬でした。
一の宮の薬局の看板やドアの取っ手には、「蛇」が使われました。
これは、ギリシャ神話のアスクレピオスの蛇杖に由来します。
アスクレピオスの娘で、衛生の神のハイジアもよく使われました。
こうした歴史を知ると、ある国で使われている制度をそのままもってきてもワークしないことがあることが分かります。

例えば、アメリカは国民皆保険の国ではありません。
過去ジョンソン、クリントン、オバマ大統領といった民主党の大統領が、
国民皆保険の制度化をしようとしましたが、
根強い反対があって未だに達成はされていません。
一方、我が国は60年前に導入をしています。
亡くなった安倍総理のおじいさんの岸信介首相のときに実現しました。
我が国の保険制度は、既存の企業の健康保険や共済組合に加入している人以外は、強制的に国民健康保険に加入させる方式を採用しています。
これにより国民皆保険を実現しました。
強制的に保険に加入させることは憲法違反ではないかと裁判もありましたが、
最高裁で合憲の判決が出ており、
我が国における議論は収束しています。
皆保険をすることは「強制加入」をすることになります。
これは、個人の自由をなによりも尊ぶアメリカ人にとっては、魂の琴線に触れるのです。
無保険者がいることも、U.S.Aなのです。
さらに、銃規制ができないことも、
またアメリカなのです。
豊臣秀吉の刀狩り以降に
庶民が刀をもたなくなった我が国とは、
歴史が違います。
歴史を知ることは、
人間を知ることにつながります。
米国民の多くは、公的医療保険の拡大については「曖昧な支持」に留まっています。
そもそも医療保険というものは勤労に付随するものである、という考え方が根底にあります。
そのために、就労が困難な高齢者や障害者への公的保険は支持しますが、就労可能な人を対象とすることには懐疑的です。
また、保険の加入やその内容については、
個人で選択することができること、
自己決定の余地があること
を重視しています。
アメリカ人は、
ヨーロッパに古来からある
身分制度や既成概念、既得権益
から逃れて
自由を求めて新大陸に渡った人々の子孫です。
ヨーロッパ諸国のような
大きな政府に対する不信感を持ち、
お上の言うことに盲目的に従わず、
個人の選択といった自由を奪われることを嫌う、そういった習性があるのです。
そういう一般ピープルを相手に、
国が用意した公的保険に強制的に加入させることはなかなか難しいことが、
よくわかると思います。
日本人はおまかせ定食を選びますが、
アメリカ人はひとつひとつ
自分の好きなものを選んで食べる
アラカルトが合っているのです。
その結果、
アメリカの民間医療保険の種類は山ほどあり、
その保険の中から
購入する個人が家族の必要分と
支払い能力を考慮して
選択・調整を調整しなければなりません。
民間の保険なので、
個人の健康リスクに応じて
保険料が高額に設定されたり、
加入が拒否されることもあります。
雇用の流動化や医療保険料の高騰で、
医療保険に加入しない人の割合が、
2006年には人口の15%、
4600万人にも達しました。
一方、日本は、
1961年に国民皆保険を達成しています。

厚労省の元年金局長で
上智大教授をされていた香取照幸さんは、
「この時期に国民皆保険を達成できたことは奇跡である」
と言っています。
この時期、国民に平等に医療サービスを提供するという国民皆保険の目標を達成するために、日本人はひとつになったのです。
香取教授は、以下のことを指摘しています。
・ちょうど、我が国が高度経済成長に突入する時期だったこと。終戦から間もない時期で、みんなが貧しかったのです。
・国民皆保険に向けた強い政治的意思があったこと。自民党も社会党も全ての政党が、国民皆保険の実現を掲げていました。
・市町村合併による財政強化が図られた時期だったこと。
・高度な医療技術はまだ普及していなかったこと。
・高齢者の割合がまだ低い時期だったこと。
・無医村解消が、各自治体の課題だったこと。
・戦時中に構築された国民健康保険運営の経験が、市町村に残されていたこと。
・戦時中の軍医の養成拡大により、戦後は医師が余剰状態であり、医師が所得を確保するには国民皆保険の方が有利だったこと。
こうした各種の要件が交差して、
奇跡のような国民皆保険制度が実現しました。
診療報酬は1点10円の全国一律の料金で、
保険証があれば全国どこでも
保険医療機関で治療を受けることができる
ようになったのです。
宮崎県内の自治体にも
多くの国民健康保険病院があります。
保険あって医療なし、と批判されたことから、
保険あって医療機関もある自治体にした
先人たちの苦労を知ると、
大事に運営をしないといけないと思います。
アメリカでは、アメリカでは、
とアメリカの先進医療のことをいう
「出羽の守」と呼ばれる方がたくさんいますが、
保険に加入していないと
そうした医療は受けることができません。
まさに、アメリカは60年前の日本です。
医師の技術料を考慮しろ、
都会の医療機関とへき地の医療機関の料金が同じなのはけしからん、
と主張する人は、
格差をつけろということです。
しかし、60年前の日本人は
医療に格差をつけるな、
都会も田舎も平等に医療を提供しろ、
と言って国民皆保険を実現したのです。
公的医療保険には正解はありません。
それぞれの国で皆違っています。
まず我が国の国民皆保険実現までの歴史を調べてから、主張されてもいいのではと思っています。
香取教授の「教養のための社会保障」は、判りやすくておすすめです。
この本が出るまでは、
米国風の経済学者の書いた
社会保障トンデモ本が
ちまたにあふれていました。
これ以降は、そうした本が一掃されました。
