「トワ・エ・モア」は北海道出身でアイヌ語だと信じていたが、フランス語の「あなたと私」という意味だと知らされ衝撃を受けた
山下武志先生の「医師に大切な4つの力 もし1年目の医者が医師歴30年ほどの経験知を得たら-」(南山堂)を読みました。
現在の日本の病院数は約8000あります。
一方、アメリカの病院数はいくらだと思いますか?
日本より国土が広く、人口の多いアメリカでは約5000病院しかありません。
それに比べると、日本は病院数が多いと言えます。
山下先生は、人口減少と高齢者人口の増加にともなう需要の変化が同時にやってくるとおっしゃっています。
高齢者人口の増加に伴うものとして、特に訪問診療や自宅への看取りの増加をあげています。
こうした流れから、日本に数多くあるこれまでのような通常診療を行う一般病院は減少して、その数は少なくならざるを得ない。
日本の病院数はやがて半減、約4000病院になることは必然だと指摘しています。
実際に、多くの病院で診療所と連携して行う、「病診連携」活動は以前より活発になっています。
これは病院の生存競争が激化していることに他ならないと言っております。
医師の働き方改革に対応するためには、医師数を増やさなければなりません。
山下先生は、医師数を確保できない病院が続出すると言っています。
大小さまざまな多くの病院に、医師を分散して配置してきた旧来のやり方を是正することでしか解決できない。
医師の働き方改革を受け入れ可能がどうかは、すでに病院の規模で規定されると言わざるを得ない。
これに加えて、医療のAI技術が導入されたとき、病院数の減少が一気に加速すると言っております。
AI技術は、業務改善を介して医療の生産性向上を引き起こし、医師の働き方改革を後押しします。
AI技術を導入できない、経済的余力が十分でない病院との格差がさらに拡大して、そこで生じる自然淘汰を回避できない。
最終的には、多数の医師を確保し、AI技術を導入し、その結果として医師の業務改善改革、働き方改革を実行できる大規模病院だけが、この生存競争に勝ち残る。
さらに、次の時代の新しい医師が、そのような病院での研修を希望することで、この流れはますます加速する。
中小規模病院は、それを生存・維持させる特別の理由がない限り、統廃合というかたちで大規模病院のさらなる大規模化に貢献することになるだろう。
病院が生き残っていくためには、病院の収支に維持可能性がなければならない。
赤字事業を永遠に継続することは不可能だ。
これらの病院は何らかの補填によってやっと生きながらえている。
業界の半数で赤字という事態が何十年も続いているならば、病院というものに何か根源的な問題があるはずだ。
医療は永遠かもしれないが、病院は永遠とは限らない。
山下先生は、病院にとって根源的だと思う問題の背景にあるものは、病院がゼロサムゲームの中にいるという現実だと指摘しております。
病院業界全体の売り上げは、国民医療費という総枠のなかでしか変化できない。
国民医療費は、病院業界、開業医業界、製薬業界、医療材料業界など、いくつかの代表業愛の取り合いです。
この構図は、受益者(客)である患者、支払者である保険組合と税金、サービス提供者である病院を含む医療関係業界の三者で成立し、その大枠を決めているのは支払者だ。
このゼロサムゲームの構図は、国民皆保険制度、病院へのフリーアクセスなどを担保して、国民の健康維持に役立ってきた。
このゼロサムゲームをどのように維持するかを考えたとき、病院数を減少させて、つまり取り分を奪い合うゲームへの参加者数を調整して、なんとか維持するというのが、現実的な解決策になるのだと思う。

物事を見るには、虫の目、鳥の目、魚の目で見るのがいいとよく、県庁の研修などで言われます。
虫の目は目の前のものを詳しく見て、鳥の目は物事を俯瞰して見て、魚の目は流れを見る、というように説明がなされます。
山下先生は、病院の個々の問題を虫の目だけでなく、鳥の目、魚の目で見ています。
そうして、病院はゼロサムゲームだと看破したのです。
患者の在宅医療ニーズに対応できない病院や、医師数を増やせない、AI機能を搭載できない病院は、もはやゲームに参加できなくなると言っています。
恐るべき指摘です。
でもこれは、産業医大のノストラダムス松田先生の「既にある未来」の指摘とほぼ同じです。
病院にとっての「恐怖の大王」は、
人口減少、
高齢化に伴う患者ニーズの変化、
医師の働き方改革、
AIの4つです。
ある日突然、患者が来なくなる。
そうならないように、病院の経営者は、いろいろと勉強をしておかないといけません。

「ある日突然」といえば、昔、トワ・エ・モアという男女のデュオがあり、「或る日突然」というヒット曲を歌っていました。
札幌オリンピックのテーマ曲「虹と雪のバラード」が有名です。
作詞者は、札幌医大の整形外科の教授で、その弟子は作家の渡辺淳一さんです。
そのため私は、二人は北海道出身だと思い、「トワ・エ・モア」はアイヌ語だと堅く信じておりました。
ところが、これはフランス語で「あなたと私、君と僕」という意味だと知らされたときには、衝撃を受けました。
思い込みはダメですね。
病院や医療のおかれた現状を、虫の目、鳥の目、魚の目で正しく理解することが重要です。

山下先生は、医療の主たる目的は、生命予後の向上と生活の質の改善、という2つだと習ってきたし、まさにそのとおりだと思ってこれまで医者をやってきました。
昭和の時代は、患者は40代から60代が中心でした。
血圧、脂質、糖尿病、肥満など、きちんと管理できている患者の方がむしろ少ないという時代でした。
患者の多くは、血圧が高いくらいが自分にはちょうどよいと、本当に思っていました。
もちろん、早晩、動脈硬化性の心血管イベントを生じてしまいます。
それらのイベントに遭遇し、それを苦労しながら治療し、そして初めて患者が医師の指示に従ってくれるという機会を利用して指導する……。
これが医者の仕事の本流だったと回顧しております。
うまく治療できれば感謝されるし、やりがいもあった。
平成の時代は、大規模臨床試験の成績が数多く報告され、これまでなんとなくよかれと思ってやってきたことにいくつかの反省があったものの、治療する目的が、生命予後の向上と生活の質の改善であることには何の変化もなかった。
ただ、徐々に、昭和の時代には比較的珍しかった70代の患者がよく見かける存在になっていることには気づいていた。
「これは大変だ。今までどおりにいかないばかりか、まったく違う」と感じ始めたのは、ここ数年のことだそうです。
平成最後から令和になったころからだった。
80代、いや90代の患者が、普通に、外来や入院診療に現れ始めた。
元気な高齢者ならいいが、車いす生活の人もいれば、認知機能が低下し始めた人たちもいる。
山下先生がこれまで医療の対象と考える機会がほとんどなかった人たちでした。
例外的な患者とばかり思っていたら、いつのまにか患者の中心像になりつつある。
そして、「この年代の人たちにとって、生命予後の向上と生活の質の改善って一体何だろう」と考えざるを得なくなりました。
長い医者生活のなかで、山下先生が中心に位置付けた目的では歯が立たない患者がいることを知りました。

成人した人間には老化が3回生じる、という説があるそうです。
老化に伴い、血清蛋白の組成が変化するそうで、平均として34歳、60歳、78歳に大きく変化するとのこと。
つまり成人の人間の身体は、①20~34歳、②35~60歳、③61~78歳、④78歳以降、の4つのステージに分けられる。
こまかい分類なので、ざっくり大胆に整理してみました。
①20~40歳未満、
②40~60歳未満、
③60~75歳未満、
④75歳以上
40歳から保険者による特定健診・特定保健指導が始まり、75歳からは後期高齢者医療制度で医療を受けることになります。
昭和に医師になった山下先生は、④の最終段階の患者を想定できていなかったと言っております。
ここ10年のあいだに、最終段階の人口が増加したから、初めてそのことに気がつきました。
最終段階では、自分たちの目的であった生命予後の向上と生活の質の改善というお題目が、うまくフィットできていないと述べています。
目的がわからないまま医療を進めることには、自然と人間としての大いなる疑問が湧いてしまう、と告白しています。
最終段階の医療のエビデンスを探そうとしても、実のところほとんど存在しない。
エビデンスに基づいて初めて書くことのできる診療ガイドラインに至ってはもちろんまったく役にたたない。
目的もわからなければ、エビデンスもない、情報そのものすら足りない……。
山下先生は、「これが我々が感じる困惑の正体だ」と言っております。
これまでの戦法がまったく通じない相手と出会うと当惑します。
太平洋戦争において、米軍と初めて戦った日本軍の将官は「これまで戦ってきた中国軍とは全く違う」と愕然とします。
圧倒的な火力を持つ米軍には突撃は通用しませんでした。
柔道からJUDOに変わった直後、一本を狙って技をしかける日本の選手たちは、組ませずに執拗に有効なポイントをかせぎにくるJUDOレスラーにまさかの敗戦を経験しました。
75歳以上の最終段階の方々を対象とした医療では、生命予後の向上と生活の質の改善という従来の戦法が通用しません。
そもそも本人が希望しているかどうかがわからないことがあります。
決めているのは、本人ではなく家族と医療人であることも多い。
入院よりも在宅を希望している人も多い。
最終段階の医療を本人が元気なときに、前もって、家族と医療従事者と話し合って決めておくという取組も行われています。
もし医学部の教育で、山下先生や私がならったような、生命予後の向上と生活の質の改善を目的とした従来の戦法をそのまま学んでいるとしたら、恐ろしいことです。
令和の医療は75歳以上の高齢者が中心です。
これまでの戦法がまったく通じないことを教えられていなかったら同じ方法をつかうしかありません。
「病気を診ずして病人を診よ」という高木兼寛の言葉は、これからの医療界で輝いてくると思います。
総合診療医の時代です。
その進化系は公衆衛生医です!
今月に、宮崎県主催で公衆衛生医師の説明会を開催します。
