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早稲田を目指す受験生が、ごっつんの日にごっつん柱に頭をぶつけるとご利益がある

佐賀市にある大隈重信記念館に行きました。

大隈重信生誕125周年を記念し、昭和42年に早稲田大学名誉教授の設計により建築されたものです。

デザインと建築技術に優れた芸術作品として高い評価を受けており、国の登録有形文化財(建造物)に登録されています。

1階には、大隈重信の肉声が流れるコーナーがあります。

大隈重信は、外務大臣のときにテロリストから爆弾を投げられて、右足を負傷し、右足の切断手術を受けております。義足が展示されています。

湯河原で、終戦時の外務大臣重光葵の記念館を見たことがありますが、重光もまた爆弾で負傷して義足を使用していました。

大隈重信は、総理大臣を2度務め、鉄道の敷設、新通貨制度(円制度)の創設、郵便事業、太陽暦の採用など、日本の近代化の基礎を築くとともに、早稲田大学を創設するなど、教育にも力を注ぎました。

天保9(1938)年の生まれで、亡くなったのは大正11(1922)年、85歳でした。1月に行われた日比谷公園での国民葬には約30万人が参列したと言われています。

翌2月に同じく日比谷公園で行われた山縣有朋の国葬での参列者は、1000人ほどだったので、その人気の凄さがわかります。

もしくは、山縣有朋の人気の無さの方が凄いかも。準備した1万人のテントが泣いておりました。知らんけど。

さて、大隈重信は健康志向でした。

「人間は125歳まで生きられる」と言っておりました。

散歩、体操はもちろん、体温計、検尿、検便用具も持っており、細かく測定していたそうです。

好きだったタバコも、体に悪いとすると82歳で禁煙をしています。

結果として85歳まで生きた大隈は、当時としては長寿でした。

「人に会うと元気になる」と、人と会うのが好きで、雨などで来客が少ないと寂しいと思うほどでした。

ひょうたんが好きで、縁起物として山ほど集めては、欲しい人に挙げていました。

なんとなく、太閤秀吉か、今太閤といわれた田中角栄を思い出しました。

目白にあった田中角栄邸には、来客がひっきりなしで絶えなかったと言われています。

隣には、大隈重信の生家があります。

二階は大隈重信(幼名八太郎)の勉強部屋があります。

部屋の中央には、八太郎が勉強中に眠くなったときに柱(梁・はり)に頭がぶつかって目が覚めるよう、でっぱりが残った「ごっつん柱」があります。

これは母の三井子(みいこ)の工夫により残されたといわれています。
教育ママだったのですね。マッカーサーの母も相当な教育ママでした。

この部屋は、通常は公開されていませんが、毎月5,15,25の5が付く日をごっつんの日として、特別に公開されています。

早稲田大学を目指す受験生は、ごっつんの日に来館して、ごっつん柱に頭をぶつけてみてはいかがかしら。

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