もし私が立志式に出たら、「公衆衛生」という四字熟語を選んで夢を語りたい
母校の椎葉中学校の立志式に行きました。
中学2年生が、それぞれ自分の好きな言葉を選んで、自分の目標や夢を語るのは大変素晴らしかったです。
自分たちが中学生の頃には、こうしたイベントはなかったので、新鮮でした。
その後に、生徒や父兄、先生、ご来賓の方々の前で、「椎葉の価値(バリュー)」という題で講演をさせていただきました。
講演時間は60分で、言葉だけだと不安なので、パワーポイント60枚のスライドで行いました。
スライドのほとんどは写真にしました。
最初に、「椎葉村の価値は3つのストーリーから構成される」という仮説を提示しました。
その3つとは、
①平家伝説
②民俗学
③ダム
です。
全国に平家落人伝説のある地域はたくさんありますが、多くは、逃げて隠れてひっそりとしています。
そんな中で、
椎葉村は平家を全面に押し出して平家祭りをやっており、いわば「平家推し」No1の地域です。

平家の残党を討伐するために椎葉山に来た那須大八郎宗久が鶴富姫と出会い、その子孫が「那須」を名乗って椎葉山一帯を支配します。
薩摩の島津義弘と結んで、日向の伊東や豊後の大友といった戦国大名を滅ぼします。
豊臣秀吉の九州征伐では、秀吉に鷹を贈って、鷹の山地として椎葉山を支配する朱印状をもらいました。
徳川幕府の二代将軍秀忠の時代に、朱印状を巡って騒動となり、秀忠は旗本2名を派遣し相良藩に銘じて鎮圧しました。
「椎葉山騒動」と呼ばれ、関係者100人が斬首され、その妻20人が自殺するという悲惨な結果となりました。
その後、椎葉山は幕府直轄となり、相良藩預かりの処分が下ります。
椎葉山には鉄砲が600丁ほどあり、武装勢力でした。
幕府に反逆するとこうなると、見せしめにされたのです。
相良藩の調査では、椎葉山の人口が約4000人、そのうち75%は名字を名乗っていました。
幕府からは、勝手に名字を名乗らせないようにしろと言われますが、相良藩は名字を奪えばまた騒動になると説明し、黙認されました。
明治41年に内閣参事官の官僚柳田国男が椎葉村にやって来ます。
7日間椎葉村に滞在しますが、その間は椎葉村長の中瀬淳が案内します。
柳田は村長の話にいたく感銘し、イノシシ狩りの風習の資料を送ってもらい、それらをまとめた「後狩詞記」を自費出版しました。
これが我が国の「民俗学の発祥」とされています。
中瀬村長の家は現存し、庭に「民俗学発祥の碑」があります。
柳田は、畑という漢字になぜ「火」があるのか、焼き畑を知るまで気がつかなかったと言っています。
現在、日本で焼き畑が残っているのは椎葉村だけです。
国学院大学や明治大学では柳田国男の弟子にあたる研究者が、民俗学の研究を行っています。
ちなみに、中瀬村長の息子は、戦艦伊勢の艦長となり、レイテ沖海戦に出撃し、米海軍の猛攻を受けますが、一発の爆弾・魚雷も命中しませんでした。
米国のパイロットは「魔法の艦」と呼び、戦後に米海軍のハルゼー提督は、伊勢艦長の操艦技術に脱帽したと書いています。
防衛省から異動するときに、事務次官から防衛省防衛研究所に残っている伊勢艦長の写真や航海図をまとめた資料をいただきました。
中瀬村長の実家にお渡ししています。

最後にダムの話です。
九州電力は、上椎葉ダムの建設を検討します。
米国から科学技術顧問団が椎葉村にやってきました。
地質調査の結果、アーチ式ダムの建設が可能だとアドバイスしました。
ところが、日本では大規模なアーチ式ダムを建設した経験がありませんでした。
そこで、日本の技術者たちは徹底的に研究をしたそうです。
「上椎葉ダム大学」と呼ばれました。
研究の結果、アーチ式ダムを初めて採用することになりました。
上椎葉ダムの成功をきっかけに、我が国でも次々とアーチ式ダムの建設が勧められていきます。
一方、ダムの愛好家といった人たちが誕生します。「ダムマニア」と呼ばれる人です。
ダムマニアが収集するダムカードが誕生し、ダムカレーも登場します。
日本初のアーチ式ダムである上椎葉ダムは、いつしかダムマニアから「閣下」という愛称で呼ばれるようになりました。
上椎葉ダムの湖は、作家の吉川英治から「日向椎葉湖」と名づけられました。
毎年夏にはダムで花火大会が催され、秋の観光放水には全国からダムマニアがやってきます。

ダム湖にはわかさぎがおり、これを食べて巨大化したヤマメは「平家マス」という名前が付けられました。
大きいのは60センチくらいになるそうで、これを狙ってルアー釣りのアングラーたちが集まってきます。
こうした3つのストーリーが相互に反応して価値を生み出し、それを作品にしている作家がいます。
代表的な作家として、坂口安吾、吉川英治、松本清張、乃南アサさん、島田雅彦さんがいます。
さらに、椎葉村から秘境の作家を養成するというプロジェクトも発表されました。
いわば、地域おこし協力隊の作家版で、椎葉に住んで本を書けば、直木賞作家の今村翔吾さんがサポートをするとのこと。
こ、これは、自分のために設けられたものかと喜びましたが、50歳という年齢制限がありました。
こういった話を展開したところ、初めて聞いた話も多かったようで、面白かったと言われました。

もし私が立志式に出たら、「公衆衛生」という四字熟語を選んで、以下のような夢を語りたいと思います。
私の夢は、公衆衛生の人材育成だ。
いつか椎葉村で、公衆衛生セミナーを開催したい。
ハベレオ通信の内容に、写真や基礎資料を加えて、公衆衛生の歴史や事件などを勉強し、今後の公衆衛生について考察するような内容だ。
講師陣は、全国各地で活躍している有名人を呼ぶつもりだ。
初の公衆衛生漫画を描いた「保健師がきた」の漫画家の埜納タオさんも呼びたい。
以上だ。
