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わずか数分の電話取材で、一生残る記事「遅れてきた官僚」にされてしまった

今日は3月11日。
東日本大震災が発生した日です。

あれから14年が経ちました。

当時私は、
厚労省医政局の研究開発振興課長でした。

東京電力福島第一発電所の災害に対する
現地対策本部(オフサイトセンター)に
2度派遣されました。

3月26日(土)の午後3時頃に、
医政局の総務課長から
私の携帯に電話がかかってきました。

「大変急だけど、福島県にある東京電力第一原子力発電所の、現地対策本部にある医療班の班長として行ってくれ」
と頼まれました。

医薬品や医療機器の治験を担当する
研究開発振興課長に、なぜ福島に行けと?


一瞬、そう思いましたが、
即座に「判りました」と返事しました。

すると、間髪をおかずに、
災害担当の厚生科学課長から電話がありました。

新幹線は止まっているが、
新宿から福島まで高速バスが出ているので、
それを使って、
できるだけ早く現地入りするように
と指示されました。

早速、新宿に向かって、
バスセンターで切符を買いました。

あいていたのは、翌日の夕方6時発で、
福島市には夜中の12時くらいに着く
最終便だけでした。

ユニクロで下着を、
薬局で花粉症の目薬を、買いました。

翌日、霞ヶ関の厚労省対策本部に出頭して、
現地の状況の概要説明を受けました。

現地対策本部(オフサイトセンター)の医療班に
厚労省から課長級の職員が来ていないことが
現地対策本部内で問題となっている

と言われました。

ミッションとして、
第一原発と第二原発で復旧作業を行う
作業員(1日約5000人)が
被ばくしたり、事故で負傷したり、急病発生時の
緊急医療搬送システムを構築すること、
を命じられました。

派遣期間は1週間。

このときには、後任の医療班長は 
まだ決まっていませんでした。

新宿の小田急デパートの地下の饅頭屋さんで、
医療班員のお土産の饅頭を買って
バスに乗り込みました。

医療班の人数が不明でしたので、
20個買いました。
5000円くらいしたと思います。

真夜中に福島に到着し、
ホテルにチェックインした後、タクシーで
福島県庁の横の県議会議事堂に設置された
オフサイトセンターに行きました。

未明の1時頃でしたが、
医療班の班員の多くが残っていました。

これまで医療班長を務められていた
放射線医学研究センターから来られた先生から、
いろいろと説明を受けて、
班長を引き継ぎました。

これから数年後、
ある新聞で、
福島第一原発事故の連載記事が掲載されました。

かなり長期にわたって連載され、
記事をまとめた本も出版されています。
ベストセラーにもなりました。

ある日、
女性の記者から電話がかかってきました。

携帯からのようで、電波の状態がかなり悪くて、途中に声が聞こえず、何度も聞き直しました。

「課長は、ガー、オフサイトセンターの医療班の班長をされていましたよね。ガー、いつ行くように言われたのですか?」

「前日の3時過ぎです。バスのチケットを買うように指示され、すぐに買いに行って、翌日の最終便に乗って現地に行きました」

「ガー……(聞こえず)」

「ガー、厚労省から来るのが遅かったという人がいますが……」

「いや、前日午後に命令されて、翌日に高速バスで福島に向かいました。当時は新幹線は動いていなくて、バスしかなかったので……」

「発災したのは3月11日、ガー、厚労省から課長が来られたのは3月28日。ガー、明らかに遅いですよね」

「私は命令を受けた側です。命令を受けて最速で動きました。そういうことは、命令をした側に聞いてください」

こうしたやりとりがあって、電話は切れました。

新聞の記事に付けられたタイトルは、
「遅れて来た官僚たち」


私の実名と所属と年齢が掲載されていました。

わずか数分の電話取材で、
私は「遅れてきた官僚」にされてしまいました。


「汚名」は、永遠に消えません。

高校時代の同級生の数人から、
電話がありました。

「新聞記事読んだよ。お前は、遅れて来たのか?」

遅れてないんだけど……。

現在のようにSNSが盛んだったら、
相当叩かれていたでしょうね。

「遅れてきた官僚はこいつだ!」

顔写真、住所、経歴、出身地、出身校など
がネットにアップされ、
炎上していたかもしれません。

理不尽なのは、
福島で一緒に働いた
福島県立医大の救急医の先生や
長崎大学医学部から
福島に応援に来られた放射線医の先生の活躍は
記事になっておりますが、
遅れてきた官僚のその後行ったことは
まったく無視されてしまったことです。

第一原発から半径20キロ圏内は、救急車が入れない

放射性物質を浴びた場合は、被ばく線量の測定と除染措置が必要

緊急な治療が必要な場合は、ヘリコプターで搬送する必要

第一原発と第二原発の復旧作業には、
一日約5000人が従事

当初病院は、院内の汚染を恐れて、原発作業員の治療の受け入れをしていない

このような状況下で、
さまざまな関係者の理解を得て
第一原発から、Jビィレッジ、福島県立医大病院を結ぶ緊急医療搬送体制をつくることは
大変でした。

こうした仕事はスルーされ、
新聞という巨大メディアで
実名とともに
「遅れてきた官僚」
というレッテルを貼られてしまいました。

ハベレオ通信という個人的なメディアで、
14年前のことを、振り返り、
5回にわたって綴ってみたいと思います。

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