厚生省の地下1階の本屋で購入した世界的な移植医スターツルの伝記が、出資を引き出した
富山県に出向していたときに、PETセンターの建設を計画しました。
当時、富山県内にはPETがなく、わざわざ隣の石川県の病院に行かないと検査が受けられず、県民にとっては屈辱的なものでした。
PETはサイクロトロンを含めるとかなり高額な医療検査機器なので、富山県の中央部に共同利用方式のPETセンターを作って、個々の病院では整備しないようにしました。
また、県と市町村と民間企業が資金を出し合って、共同で運営するようにしました。
そのため県内の各市町村や企業を回って、出資をお願いしました。
その中にアステラス製薬の富山工場があり、工場長と面会をして出資をお願いしました。
しかし、秒で断られてしまいました。
工場長の権限で、自由にできる金額が限られているので、そもそも出資は無理だと言われました。

アステラス富山工場では、免疫抑制剤「プログラフ」を作っており、世界に出荷していました。
プログラフは、山之内製薬と合併してアステラスになる前の藤沢薬品が開発した薬です。
藤沢薬品が、筑波山のふもとに工場をつくったときに、敷地内の土壌にあった菌から精製抽出した物質に強力な免疫抑制作用があることがわかりました。
藤沢薬品の研究者たちは、この強力な免疫抑制作用のある物質を学会で発表しました。
ただ、臨床的に何の役に立つのか、研究者たちはそれほど期待はしていませんでした。
しかし、海の向こうのアメリカで、筑波山由来の新しい物質に興味を持った外科医がいました。

ピッツバーグ大学のスターツル教授です。
肝臓移植の世界的な権威で、ウイルス性肝炎の患者に、ヒヒの肝臓を移植したこともありました。
スターツル教授は、新しい免疫抑制剤を探していたのです。
移植医療は、他人の臓器がうまく定着するために、免疫を抑制させる必要があり、手術中の外科医の腕よりも、手術後の免疫抑制剤の方が、移植医療を成功させる鍵となっていました。
この頃は、スイスのサンド社が開発した免疫抑制剤「シクロスポリン」が使われていました。
免疫抑制作用は強かったのですが、腎臓毒性の副作用があって、使用が難しかったのです。
還暦を迎えたスターツルは、未知の免疫抑制剤を求めて、はるばる日本にやってきました。
九州大学医学部の弟子たちからは、赤いチャンチャンコを着せられて歓迎され、藤沢薬品から、まだ正式な名前のついていない物質を受け取りました。
帰国したスターツルが、臨床で使用したところ、免疫抑制効果は抜群で、しかも副作用がほとんどないことが判明しました。
筑波山オリジンの薬は、我が国では「がまの油」が有名ですが、それを上回る世界的な新薬が誕生しました。

私は、厚生省の地下1階の本屋で購入したスターツルの伝記「ゼロからの出発」を、アステラス富山工場の工場長に見せました。
それには、スターツルが、藤沢薬品の本社を訪れて交渉し、透明で光り輝く1オンスの薬を受け取るシーンが感動的に書かれてあったのです。
工場長から、本を貸して欲しいと言われたので、その場で渡しました。
1週間後に、県庁のくすり政策課に、アステラス富山工場長からPETセンターに出資するという電話がありました。
一冊の本が、人を動かしたのです。
プログラフは、今でも移植医療の免疫抑制剤としては第一選択薬です。
世界の100か国に輸出され、売り上げは年間約2000億円です。
すでに特許は切れており、ジェネリック薬もあるのですが、細心の注意を払う世界中の移植医たちは、アステラス社のプログラフを使っています。

県内の各市町村と企業からの出資金を元に建設されたPETセンターは、完成し、現在も稼働しています。
富山県から異動して、厚労省の医政局研究開発振興課長になったときに、アステラスの社長とお会いしたことがあります。
富山工場長の話をしたら、すでに亡くなっておられました。優秀な工場長を失って、社長も大変残念がっておられました。
今でも工場長の柔和なお顔が、目に浮かびます。
最初にアステラス富山工場が出資をしていただいたことで、県内の製薬会社からの出資も進んで、本当に助かりました。
ちなみに、筑波山にそうした薬の素があるのなら、宮崎県の尾鈴山あたりにもないかしらね。
