私は、工藤監督の話を聞いて、宮崎から直木賞は狙えると確信した
宮崎大学医学部の開学50周年記念のイベントがありました。
元ソフトバンクホークスの工藤監督も来られるということで、行って来ました。
工藤監督は、「巨人の星」のような家で育ちました。
例えると、父は星一徹、自分は星飛雄馬、母が明子さん。
無かったのは、大リーグ養成ギプスだけでした。
鉄下駄を履かされたり、ウサギ跳びをやらされたり、部屋の中で懸垂や、兄を背負ってスクワットをしました。
巨人ファンの父は、巨人が負けると機嫌が悪くなり家の中が暗くなるので、工藤監督は野球が嫌いでした。
小学生の頃に野球部に入りますが、一年でやめて体操部に入ります。
鉄棒にぶら下がって懸垂をやりました。
これで腕の力が付きました。
監督から野球部に戻ってこいと言われて、仕方なく戻って大会に出ました。
野球は嫌いだったので、中学のときはハンドボール部に入ります。
ところがハンドボール部の顧問の先生は、野球部の顧問も兼務していました。
1年後に背の高い野球部の同級生がハンド部に移りたいと言ったので、顧問が「一対一のトレードだ。野球部に移れ」と言われて仕方なく従ったそうです。
ピッチャーをやりました。
武器はカーブで、こどもの頃にメンコとコマで遊んだことを応用して編み出しました。
一日でも早くうまくなる方法は、1番上手な人をまねることだと言っていました。
週刊ベースボールという週刊誌を立ち読みして、最後のページに載っていた分解写真を見ました。
中日の小松投手の投球フォームの解説に、背筋力が強いと解説されていたので、背筋力を付ける訓練をしました。
お金はないので、毎週立ち読みして覚えて、シャドーピッチングを繰り返しました。

中学を卒業したら、高校には行かずに、丁稚になるつもりでした。
家が貧乏で、兄弟も多かったので、高校には行けないと思っていました。
ところが、「人の縁」というものがあるのです。
自分の投球フォームを見て、「君、いい球を投げるね」と言ってきた人がいたのです。
社会人野球や高校野球に詳しい方で、高校で野球をするように言われました。
自分は進学する予定はないと答えたところ、特待生で学費や無料の高校があると言って、父親に話に来ました。
父は、無料なら高校に行っていいとあっさり許可してくれました。

高校では寮に入りました。
父親から逃れたかったのですが、
父親よりたちの悪い先輩がいました。
夜に10リットルのヤカンを持たせられて、ずっと立たされて説教されるいじめを受けました。
重かったら飲んでもいいと言われて、ヤカンの水を飲んだら、先輩がまた水を入れるといういじめでした。
こうしたいじめで、20人野球部に入った同級生は4人が辞めていきました。
残った16人とは、今も毎年集まって、高校時代の寮生活で先輩にいじめられた話をして笑っているそうです。
「いやな経験は、時が来ると笑いになる」
そういうことを学んだ、と言っていました。
高校では、継続することも学びました。
とにかくコントロールが悪かったそうです。
2年のときは、四球、死球、暴投、ボーク、押し出しで負けました。
先輩が憎くてわざとやった訳ではありません。
コントロールをつけるために、10mのところから始めて10球同じコースに投げられるようする練習をしました。
10mから最後の18mに到達するまで、4か月かかりました。
投げた球が一日500球です。
近い距離だとキャッチャーがとれないので、スピードを調整して投げました。
この練習をやり続けた結果、調整力がついて、力の使い方を覚え、フォームも安定しました。
その結果、甲子園に出場することができました。
高校を卒業したら、プロになるつもりは全くなく、社会人野球に行く予定でした。
しかし、西武ライオンズがまさかの指名をして、プロに入ることになりました。
広岡監督から、ファーストカバーをするときに、一塁ベースを見ずに右足で踏むように練習を繰り返せといわれて、やり続けました。
頭ではなく、身体が自然と動くようになりました。

プロでは、プロ意識がある人と無い人では大きな差ができると言っていました。
プロの練習は、100mダッシュを100本、ウオーミングアップで行います。
こうした練習の後に、ちゃんとしたケアができるように、きちんと考える人は生き残るそうです。
練習はどの球団も同じようなもので、個人の意識が違うだけだと言っていました。
プロは、すごい先輩だらけの世界でした。
3年目に、アメリカに飛ばされます。
マイナーの1Aに所属しました。
順番は、メジャー、3A,2A,1Aで、一番の底辺の世界を経験しました。
1日いくらの日雇いの日当の世界で、自分が1Aに所属していたときに、3人がクビを宣告されました。
3人に聞いたら、「たまたま自分は調子が悪かっただけだ。メジャーを狙うよ」と同じ事を言っていました。
まったくめげていないのです。
「こいつらは、考え方が違う」と思いました。
工藤選手は、生まれ変わりました。
4年目から、プロのピッチャーで活躍するようになります。
「年齢は関係ない。人間の可能性はいつでもあるんだ」と思います。

工藤監督の講演は、総括すると、「やれば、できる。失敗はたくさんある。今までやっていないことでも進めていい」という内容でした。
工藤監督は、甲子園でノーヒットノーランをやって、西武ライオンズに入団して、
順風満帆に224勝をして名球会入りした選手とばかりと思っておりました。
波瀾万丈の人生があったのですね。
話が面白く、会場は笑いに包まれていました。
監督をされているときに、大学院の修士課程に通って、いまは学士課程で学んでいるとのことでした。
皆さんもぜひ工藤監督のように、可能性に挑戦してみて下さい。
私は、工藤監督の話を聞いて、宮崎から直木賞は狙えると確信しました!
飛躍し過ぎかも。個人の見解です。
