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伊藤忠商事は、社員が在職中に万が一の事態になったときは、 残された子どもが大学院を終了するまで教育費を補助する

厚労省にいたときに、「治療と仕事の両立支援」の取組を担当しました。

労働基準局の労働衛生課長をした後に、健康局のがん対策・健康増進課長に異動となり、がん対策の担当となりました。

がん対策基本法に基づくがん対策基本計画の中に治療と仕事の両立支援があったので、これを推進しようとしました。

健康局だけで進めることは困難でしたが、前職が労働基準局だったので、労働基準局の職員や産業保健の専門家が後押ししてくれました。

検討会を開いて、報告書をまとめてくれました。

熊本大学の外科医が厚労省に人事交流でがん対策・健康増進課に勤務していたので、彼に仕事を任せました。

報告書がまとまった後、この医系技官は、熊本大学の外科の教授に報告をしました。

教授から「君は厚労省で良い仕事をしたね」と褒められたと言っておりました。

彼は復帰後に、宮崎県にある五ヶ瀬病院に勤務しています。

労働基準局の労働衛生課には「治療と仕事の両立支援室」が創設され、イメージキャラクターの公募がなされました。

治療と仕事の両立支援を推進するキャラクター、「ちりょうさ」が選ばれました。

県立看護大の講義で、「ちりょうさ」を知っているか?と聞いたところ、誰も知りませんでした。

うさぎのキャラクターです。

ネットで検索してみて下さい。

いつの日か「宮崎犬」より有名になると思っております。

厚労省では、「社長島耕作」の漫画を使って、がんの治療と仕事の両立支援のポスターを作成してPRしました。

その後は、ブラックジャックを使ったパンフレットをつくっています。

報告書がまとまったときに、事務次官室から呼ばれました。

そのときの事務次官は、村木厚子さんで、えん罪で大阪地検特捜部に逮捕され半年あまり拘留されていた方です。

何事かと思いきや、「報告書を読みました。厚生省と労働省が一緒になって一番いい成果物ですね」とねぎらいの声をかけられたのは嬉しかったです。

さらに「産業医大出身で、旧労働省と旧厚生省の両方を経験しているあなたが課長だったからできたのでしょうね」とお褒めの言葉をいただきました。

その後、安全衛生部長のときに、伊藤忠商事の幹部の方と話しをする機会がありました。

「伊藤忠商事は、社員の治療と仕事の両立支援に力を入れています」と言っていました。

つい最近、伊藤忠商事の本を読んだときに、そのことに触れたところがあって思い出しました。

伊藤忠商事は就職人気トップで、2021年3月期に、最終利益、株価、時価増額の3冠で総合商社トップになりました。

万年4位の大阪の繊維商社に過ぎなかったのが、財閥系の雄である三菱商事、三井物産を凌駕するほどとなっています。

会長でCEOの岡藤正広氏が進めたのは、社員の労働環境の整備でした。

2013年に、午後8時から午後10時までの残業は原則禁止、午後10時から翌日午前5時までの深夜勤務は禁止にしました。 

2014年には、「110運動」を開始しました。

「懇親会は1次会まで、しかも午後10時まで」です。

こんなもの大したことはないではないか、と思う方がおられるでしょう。

お伝えしたかったのは、2017年に導入した、長期に闘病している社員や不幸にも命を落とした社員に対するサポートです。

①がんに罹患したとしても、本人が安心してそれを職場で相談し、職場の仲間が皆で支援する体制とする。

②闘病に際しては、最先端の治療が受けられる様に支援する。

③治療だけではなく、普段からがんにならないよう予防施策も強化する。

④社員が在職中に万が一の事態になったときは、残された家族に心配がないように徹底した支援を行う。

なかでも④には驚かされます。

残された子どもがいる場合には、何人いようとも全員、大学院を終了するまでの教育費補助を拡充する。

子どもが社会人になる際に、就職先として伊藤忠商事グループを希望する場合は、適切な職場をグループ内で斡旋する。

残された配偶者が家事専業で、本人に就職の意思があるのであれば、伊藤忠商事グループの中で必ず職場を斡旋する。

いかがでしょうか。

普通、大学を卒業するまでですよね。

伊藤忠は大学院を終了するまでサポートをすると言っています。

伊藤忠商事は、朝6時半には食堂が開いており、社員が朝8時までに出社して働いたら、社員食堂で軽食を取ることができるそうです。

具体的には、サンドイッチ、おにぎり、飲み物の3つまでに無料で食べられるようになっているとのこと。

伊藤忠商事は、創業者の伊藤忠兵衛が、近江から出てきて1872年に大阪に開いた呉服屋から始まりました。

忠兵衛は、1881年から社内行事として、1か月に6度も全社員にすき焼きをふるまう会を開いていたそうです。

明治政府が肉食を事実上許可したのは、1871年の事です。

牛肉は非常に高価で、日本国民の大変はまだ口にしたことさえ無かった時代です。

同業者の三井系の越後屋呉服店では、白米に味噌汁と漬物、昼に魚の干し物が付くような食事だったということなので、破格の処遇をしていたことが判ります。

伊藤忠は、創業者の方針で創業期から社員にやさしい会社だったそうです。

これは、人気ナンバーワンになるのは当然のような気がします。

治療と仕事の両立ができる社会は、人に優しい社会だと思います。

ぜひ、「ちりょううさ」とともに、こうした動きが社会全体に広がっていければいいなと思いました。

先日荷物を整理していたら、「ちりょうさ」のバッチを見つけました。 

寒くなり、スーツに復帰したときには、ちりょうさバッチを付けてこようと思います。

そのときに「なんですか。その変なウサギのバッチは?」と聞かないで下さいね。

「ちりょうさですね!」と指さしていただくと、てげー嬉しいっちゃが

宮崎弁で、大変嬉しいという意味です。


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