日本で最初に週休二日制を導入したのは、パナソニックの創始者松下幸之助である
週休二日制を導入したのは、アメリカの自動車会社のフォード社の創設者ヘンリー・フォードです。
「労働者はすなわち消費者であり、労働者の余暇時間を増やすことは、消費の増大、さらには生産の拡大をもたらす」
こうした経営戦略のもとに、1926年に、
全工場ほぼ一斉に週40時間労働、
週休二日制を採用しました。
40時間労働とは、
1日8時間×5日=40時間/週、
という意味です。
車をたくさん売るために、
労働時間を減らすとは、さすがです。

1938年に、
アメリカ大統領ルーズベルトの
ニューディール政策において、
連邦公正労働基準法が制定されて、
週40時間となりました。
フランスは、米国より一足先に
1936年に週40時間となっています。
イギリスやドイツでは、
1950年代から労働協約により、
週休二日制が進みました。
さて、日本で最初に週休二日制を導入したのは、パナソニックの創始者松下幸之助です。
1965(昭和40)年のことです。

松下幸之助は、アメリカを視察して、
週2日も休むのにもかかわらず、
日本よりも高額の賃金が支給されている
ことに影響を受けて、
週休二日制の導入を決断しました。
「2日の休日のうちに、
1日は休養に、
1日は教養としての文化向上や勉強に
充ててもらいたい」
というのが松下幸之助の想いでした。
我が国では、
1987年に労働基準法が改正されて、
1日8時間、週40時間が導入されました。
週休2日制の導入は、
国民生活に大きな影響を与えますので、
段階的に導入されています。
当初のターゲットは、金融機関と公務員でした。
中小企業に週休二日制を普及していくには、
取引関係で影響力の強い金融機関や、
広く労働条件設定の目安となっていた公務員に、まず実現することが効果的だと考えたのです。
国家公務員の週休二日制が完全実施されたのは、1992年5月1日からです。
宮沢総理のときで、
私は当時、労働省に勤務しており、
休みが2日になってとても嬉しかったです。

松下幸之助は、テレビの時代劇「水戸黄門」をスポンサーとしてずっと放映をしていました。
8時43分頃に、
「このお方を誰と心得る? この葵のご紋が眼に入らぬか、先の天下の副将軍、水戸光圀公なるぞ。頭が高い。ひかえよ」
とあおい輝彦さんが叫びます。
それを聞いた悪党どもが皆驚いて、
刀を置いて平身低頭するという展開でした。
毎回ストーリーは同じで、
場所と悪党が違うだけです。
水戸黄門さまは、
全国を漫遊するので、人気がありました。
日本全国津々浦々どこにでも
賄賂好きな悪代官や
小判好きな悪い商人がおりましたが、
8時43分に退治されるのです。
あーすっきり!
松下幸之助は、
何も考えずにまったりと休息してもらうように、このような番組を作ったのだ
と思っておりました。
ところが、事実は違っておりました。

水戸光圀公は、実は父から捨てられ、
水戸藩士の三木之次の家で育てられました。
黄門さまの恩人は、三木家です。
この三木家の子孫である三木敬次郎さんが、
大阪にある四天王寺にお参りに来ました。
すると境内で、
若い男が見たこともない二股電球ソケットを
売っていました。
話しを聞いた三木氏は、
「この電球は売れる!」と判断し、投資をしたのです。
若い男の名前は、松下幸之助。
まったく売れなかった窮状が、
三木氏のおかげで救われて、
後の大企業パナソニックに成長したのです。
松下幸之助は、恩返しのために、
水戸の偕楽園の中に
三木氏の先祖の三木之次とその妻を祀った
「三木神社」を作りました。
さらに、テレビでの放映番組の企画について、
恩人の三木氏に相談をしました。
「善と正義が勝つ水戸黄門のドラマはどうですか」と言われて、
昭和44年から放映が開始されました。
うーむ。深い。

私は、2月11日に水戸の偕楽園に
梅を見に行きましたが、
そのときは寒すぎて
1本も咲いておりませんでした。
園内にある三木神社を見て、
松下幸之助と何の関係があるのかと
不思議に思ったことがありました。
テレビの水戸黄門は、
なんと宮崎にも来ております!
女優の由美かおるさんが、
椎葉出身の「お鶴」という役で登場して、
入浴シーンもあったとか。
残念ながら、見ておりません。
キンチョーの蚊取り線香のアース渦巻きの
看板を覚えております。
う、いかん。話が脇道にそれました。
今日のハベレオ通信は、週休二日制の話ですので、念のため。
松下幸之助さんの想いを受け止めて、
日曜日には車を洗うだけでなく、教養を磨くのもいいかも。
