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富山県の射水市民病院で起きた「呼吸器取り外し」事件で、ACPができた

ACP(アドバンス・ケア・プランニング)という取組があります。

終末期など人生の最終段階のケアについて、前もって医療従事者と本人や家族が話し合って決めておく手続きです。

詳しくは、厚労省がガイドラインで、次のように示しております。

医師等の医療従事者から適切な情報と説明がなされ、それに基づいて医療・ケアを受ける本人が多専門職種の医療・介護従事者から構成される医療・ケアチームと十分な話し合いを行い、本人による意思決定を基本としたうえで、人生の最終段階における医療・ケアを進めること。

このACPの取組を進めるきっかけとなった事件があります。

富山県の射水市民病院で起きた「呼吸器取り外し」事件です。

病院に勤務していた外科部長が、人工呼吸器を付けていた複数の患者から呼吸器を取り外しました。

実は、事件が発覚した当時、私は富山県庁に出向しており、病院から最初の報告を受けたひとりです。

歴史の証人のひとりとして、この事件のことを書いておきます。

部長室で会議中に、医務課の医師の主幹が私のところにやってきて、手書きのメモを渡されました。

安楽死の案件発生 説明するので外へ

驚いて部長室を出で、誰もいない会議室で主幹と一緒に射水市の副市長の話を聞きました。

ベッド数二〇〇床の射水市民病院では、富山大学から新しい院長が来て、看護師の副院長職も設けられるなど体制が大きく変わりました。

病院の収益を上げるために、診療科ごとに別れていた病棟に、空いている病室には他科の患者も積極的に入院させることにしました。

先週土曜日に救急で入院した外科の患者を内科病棟に入れたところ、月曜日に外科部長が内科病棟を訪れ、「今から患者の呼吸器を外すので」と内科病棟の看護師長に告げたそうです。

看護師長は驚いて「院長の承諾は取られていますか」と聞きました。

外科部長が相談していないと答えたところ「院長の了解をとってください。それがないと師長として先生の指示は受けられません」と拒否しました。

看護師長が、電話で外来診療中の院長に連絡したところ、院長は許可しませんでした。

こうして呼吸器取り外しは、未然に防げたのでした。

内科の看護師長は、外科部長の態度から「今回が初めてではない」とピンと来たそうです。

そこで、看護師の副院長に相談しました。

副院長は、各病棟の看護師長を緊急に集め、今回の事例の件を報告し、各病棟での再発防止の徹底を指示しました。

同様の事例があれば、速やかに報告するように求めました。

会議が終わると、各師長は元の職場に帰っていきましたが、一人だけその場に残っていました。

外科病棟の看護師長でした。

「なにか言いたいことがあるの?」

副院長が尋ねたところ、外科部長が以前にも呼吸器取り外しをしていたことを告白したのです。

射水市民病院の事務長から市長に連絡があり、副市長が今後のことを相談するために県庁の医務課に来たのです。

医務課の主幹に、我が国における過去の安楽死事案を調べてもらいました。

一つの医療機関で一件しかなく、複数の安楽死事案を行った医療機関はありませんでした。

事実関係をはっきりさせること、を最優先にしました。

あわてて2件と発表して、後から別の事案もあったことが発覚すると、マスコミからは「病院が隠蔽した」と言われます。

翌日が土曜日で休みだったので、院長と副院長と事務局長の三人を県庁の医務課に呼んで、詳しく聞き取りをしました。

外科部長が、射水市民病院に赴任したのは一〇年前でした。

①外科部長が病院着任以来主治医をしていた入院患者で、病院で亡くなった患者のカルテと看護記録を全部調べて、呼吸器取り外しの記述がある事例を全てピックアップすること。

②外科部長は、自宅待機させて病院での診療をさせないようにすること。

③病院が調査して把握した呼吸器取り外し事案を、県警に告発すること。

④病院の再発防止措置の策定と職員への医療倫理の研修を実施すること


この四項目の速やかな実施を、院長にお願いしました。

過去の事案を起こした病院の末路を調べた結果、これらの対応をしておかないと、病院ぐるみで呼吸器取り外しをやったと疑われ、射水市民病院を守れないと通告しました。

院長は、市長にも報告し、この四項目を速やかに実施しました。

院長の実行力は見事でした。

記者会見で公表する予定でしたが、捜査に支障があることから県警から止められましたので、しませんでした。

病院からは、情報が漏れませんでした。

外科部長が自宅待機となったら病院では噂になり、今だとSNSですぐ拡散されるでしょう。

この間に市長選挙もあったのですが、選挙期間中もまったく病院から漏れなかったのは、今考えても奇跡だと思います。

それから半年後の二〇〇六年三月に、地元新聞のスクープで発覚し、平穏な日々は終わりを迎えました。

射水市民病院には、日本中からマスコミが集まりました。

病院では、連日のように記者会見が開かれ、院長、副院長、事務局長の三人がその矢面に立たされました。

マスコミの中には、院長が答えているときに罵詈雑言を飛ばす記者、会見の時間に遅れて来て院長室のドアを蹴飛ばす記者、会見終了後も長時間居残って病院の電源をパソコンにつないで記事を書いている記者、など「個性」が豊か過ぎる人がいました

院長が大学の法学部教授に相談したところ、「会見の場にビデオカメラを設置し撮影すること。質問する前に、社名と名前を名乗らせるようにすること」の二点のアドバイスがありました。

このとおりにしたところ、会見の場での罵詈雑言は無くなりました。

取材を逸脱した行為が本社にばれると怒られるので、静かになったようです。

また、警察署からは、病院の器物破損、病院の財産を横領する者があればただちに通報して欲しいと優しいアドバイスがあり、こちらも静かになりました。

冷静になった(?)マスコミからの質問は、ほぼ上記の四項目でした。

全て対応済みだったので、病院への批判は、ほどなく収束しました。

連日のごとく新聞では射水市民病院のことが報道されましたが、外来患者の数は全く減らず、むしろ増えました。

富山県ではこの呼吸器取り外し事件をきっかけに、県内の全病院の調査を行い、知事から厚生労働大臣に対して、医療現場が困らない対応策の検討を行うよう要望書を提出しました。

その答えが、ACPだったのです。

この事件を知りたい方には、中島みちさんの「尊厳死に尊厳はあるかーある呼吸器外し事件から」(岩波新書)が参考になります。

射水市民病院の院長は、富山大の循環器内科の准教授をされていた心臓の専門家でした。

病院長として赴任するにあたって、大学病院の医療安全を担当していた看護師を連れてきて副院長としました。

当時は看護師を副院長にするという病院はそれほど多くはなく、先駆的な取組だったと思います。

事件は、患者思いの熱血漢の外科医が、患者と家族のことを思ってやむにやまれず呼吸器を取り外した、という報道となりました。

その外科医を無慈悲にも自宅待機の処分を下した冷酷な院長という、わかりやすい構図にされてしまいました。

積極的にマスコミに登場した外科医は、「大切なのは心電図ではなく、患者だ」と発言しました。

一部住民がこの外科医を守る会を結成し、署名運動が起こりました。

正義の外科部長を不当に処分した院長の自宅の前には、マスコミがたむろし、院長は家に帰れないという状況でした。

記者会見などで忙しい毎日を送っていた院長ですが、その最中に事故が起こります。

小学校の卒業式前の六年生が、運動場で野球の練習中に胸に打球を受けて、心臓がとまったのです。

救急車が到着するまで、学校の先生が心肺蘇生を行いました。

救急車で運ばれたのが射水市民病院で、救急外来で診察をしたのは院長でした。

心臓は動きましたが、意識はもどりません。

院長は、気管内挿管をして人工呼吸器を取り付けました。

院長は、救急車が到着するまで先生が心肺蘇生を続けていたことを聞き、もしかしたらと古巣の富山大学病院へ患児を転院させました。

大学病院では低体温療法を行い、人工呼吸器で脳に酸素を送り続けました。

それからおよそ二か月後に、自発呼吸が出て、患児は意識を取り戻しました。

学校の先生の必死の救命措置のおかげでずっと酸素が脳に送られており、脳細胞が完全に酸素不足の状況になってはいなかったのです。

身体全体を低温にして、全身の細胞の活性を抑えて酸素の消費を少なくして、ひたすら脳細胞の回復を待ったのです。

子供の脳は大人に比べると回復力が強く、院長はこれに賭けたのでした。

意識を取り戻した小学生は、その後順調に回復し、身体のリハビリを行って、夏休みには歩けるようになり、退院することができました。

3月の小学校の卒業式に出られなかったので、クラスの同級生全員と担任の先生方や保護者が集まって、卒業式を行いました。

院長から、奇跡のような話を聞いて、涙ぐんでしまいました。

「どうして、こんないい話を記者たちに話さないのですか?」

「呼吸器をつけて治療しただけです。それに卒業式は僕がやったわけでもないので」

外科部長とは真逆の対応でした。

この院長がいたので、射水市民病院はあれだけの「修羅場」を乗り越えられたのだと思います。

ACPという言葉を聞くと、条件反射のように射水市民病院を思い出します。

二〇一八年のACPのガイドラインの見直しの検討会での最後の挨拶は、厚労省大臣官房審議官の私がしました。

運命のめぐりあわせかもしれないと感じました。

「ACPの名前を広く国民に公募して、吉本のお笑い芸人を使って啓発普及をしたいのです」

審議官室で、担当から口頭で説明を受けました。

吉本の芸人のくだりが少し気にはなりましたが、いいんじゃない。大々的にやって!
と了解し、私は異動となりました。

私が厚生労働省から異動した後に、ACPは「人生会議」と命名され、これをPRするためにお笑い芸人の小薮千豊さんのポスターが作られました。

そのポスターは大々的に炎上し、作成した厚労省が徹底的に叩かれ、ポスターは回収され、大臣が謝罪したのは周知のとおりです。

私のせいではありませんので、念のため申し添えます。

しかし結果的に、ポスターの炎上騒ぎで、人生会議ACPの認知度が上がりました。

まさか担当は、ここまで考えていた?
それは、大々的にやり過ぎだろうーっ!

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