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日露戦争はウォッカ対日本酒の戦いだった

ロシアの男女の平均寿命は著しい差があります。

女性は78歳で、男性は68歳です。

ちなみに、日本は、女性が87歳、男性は81歳です。

ロシアの男女差は10歳、日本は6歳。

ロシアの男性が早死にする原因は、さまざまな社会的要因がかかわっています。

低い医療水準、危険な仕事、喫煙、失業などがあります。

一番の原因はアルコールだと言われています。

ロシア人の男性の多くは、一日平均ボトル一本のウォッカを飲んでおり、これが原因で60歳前に亡くなる人が後を絶ちません。

ロシア人はなぜこのような状態になってしまったのか。

「死因の人類史」の著者であるアンドリュー・ドイクは、歴史を遡らなければいけないと言っています。

エタノールの沸点は摂氏78度。
水の沸点は100度。

たとえばワインのようなエタノールと水の混合物を煮沸させるとエタノールが先に沸騰して蒸発します。

この気体を冷やして液体に戻して回収すれば、最初の混合物よりはるかに高い度数のエタノールを含んだ液体になります。

あらゆる醸造酒を蒸留することによって蒸留酒(スピリッツ)が造れるようになりました。

ロシア人にとってなにより大きな意味があったのは、約1000年前にウォッカが造られるようになったことです。

ロシア人とポーランド人の間には、どっちの手柄だったのかという論争が今も続いています。

ウォッカの語源はロシア後で「水(ウォダ)」に由来するそうです。

15世紀ごろになると、ロシアでは修道院で穀物からウォッカが造られはじめるようになります。

帝政ロシアでウォッカの需要が高まったのは、皇帝が収入源として大々的に宣伝したことが大きいです。

1540年イワン雷帝はウォッカに高い税金をかけ、ウォッカの独占販売権を持つ酒場のネットワークを構築しました。

自家用の蒸留器で個人がウォッカを製造することは、貴族階級でない限り禁止されてしまいました。

17世紀にはロシアの国民的な飲料としてウォッカは定着しました。

王宮では定期的に供されて、祝宴でも使われるようになりました。

こうした措置はいずれもウォッカに威信を与え、その消費をますますうながすことになりました。

ウォッカの税収は跳ね上がり、年間歳入の40%を占めるまでになります。

1863年、ロマノフ王朝のアレクサンドル二世は、ウォッカ製造の政府独占を廃止しました。

庶民は自分たちで酒を製造して販売できるようになります。

その結果、価格は低下してロシア国外への輸出もさかんになり、消費の拡大につながりました。

ウォッカは、ロシア文化に深く根付いていました。

ロシア革命のあとのソ連時代になると、アルコールに対する政府の姿勢は禁止と促進の間で揺れ動きます。

レーニンは1917年の革命後に、ウォッカの禁止を試みました。

レーニンは、世界の労働者が団結できるのはしらふのときだけだと考えましたが、予想どおり成功しませんでした。

スターリンは大の酒好きで、政治局の仲間との深夜の会合は、ウォッカの大飲み会となります。

スターリンは、ウォッカによる税収を国家の財源とする皇帝の方法に立ち戻ります。

1970年代には、ウフォッカによる税収は、国家予算の三分の一になり、アルコール消費量が一人当たり年間15.2リットルにまで増加しました。

ソ連では、心臓病とがんに次いで、アルコール依存症が三番目の死因となっていました。

ゴルバチョフは、アルコールとの戦いに挑みます。

ゴルバチョフの考えは、妻はしらふの夫とともに過ごす時間が増える、その結果、出生率も高まる、国民の平均寿命が延びて、労働の生産性も向上するはずでした。

偉大な改革者といわれたゴルバチョフですが、ロシア国民には不人気でした。

ロシアの大統領になったエリツィン大統領は、大の酒好きでした。

共産主義時代に導入されたアルコールの国家独占をやめさせ、供給量を大幅に増やしました。

ロシア皇帝は、国民をわざと酒に溺れさせ、王政や貴族制の維持に必要な財源を生み出してきました。

アルコールによる税収は、ロシア軍を支える資金源になり、王侯貴族が贅沢な生活を続けていくためには必要なものでした。

ウォッカは国営の酒場で飲まれ、ロシアの文化の一部として根付いていったのです。

税収を得るには有効な方法だったとはいえ、その代償である社会的費用や医療コストは途方もないものとなりました。

ロシアに限らず、どこの国、どんな時代も、酒税は大きな財源になります。

日本でも、明治時代になって富国強兵のために、酒税が大きくかけられるようになります。

農家ではどぶろくを家庭内で醸造していましたが、酒税強化のため明治32年に、どぶろくを含む酒の自家醸造が法律で禁止されてしまいました。

また、それまでは、酒屋では客が徳利を持参して買う、桶や樽からの量り売りがされていましたが、水増しなどの不正防止、かつ衛生面にも良いので、一升瓶で売られるようになりました。

青森にいたときに、新進気鋭の税務署長が赴任して、バキュームカーで、密造しているどぶろくを一斉に処理したという話を聞いたことがあります。

また、釣りキチ三平の作者の矢口高雄さんの漫画「おらが村」には、税務署員のどぶろく密造改めをなんとかして逃れようとした庶民の話が書かれています。

ちなみにわが椎葉村では、税務署のどぶろく改めが来たという暗号がありました。

差し障りがあるかもしれませんので、秘密にしておきます。

日露戦争が起こったのは、明治37年2月~38年9月です。

ある意味、ウォッカ対日本酒の戦いだったかも。

酒は、公衆衛生であり、税収の元でもあるのです。

極めて、社会性のある製品だと思います。


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