公衆衛生本来仏なり 水と氷のごとくにて水を離れて氷なく 公衆衛生の外に仏なし
稲盛和夫シリーズの第5弾です。
稲森さんは、65歳のときに仏門に入られております。
その動機は、「人生についてあらためて学び、心を高める」ことだったそうです。
私が今、62歳ですので、3年後に仏門に入ることの凄さをひしひしと感じております。
絶対にできないと思います。
ということで、稲森さんの魂の言葉を紹介します。
できるだけ感謝の言葉を口にすべきだ。
感謝があるかないかで人生が変わる。
こ、これは、懐かしの「感謝脳」シリースと同じ趣旨です。
高鍋出身の歌手水木大介さんが「あゝ感謝」で熱唱しております。

修行をされた臨済宗の円福寺の高僧「白隠禅師」の座禅和讃を紹介しています。
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近きを知らずして 遠くを求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
私たちは水の中にいるのに、十分満ち足りているのに、つい喉が渇いたと不平不満を口にしてしまいます。
足るを知らないと、心に不安や心配事、愚痴や不満が生まれ、幸せにはなれない。
利己を抑えることで「足るを知る」生活ができる。
足るを知る心があれば、幸せを感じられ、感謝の思いが生まれ、自分はもう十分だからと利他の心が生まれてくる。
「足るを知る」は、徳川家康が一番大事だと言った言葉です。
見返りを求めてはいけない。
何も見返りがなくても「ありがとう」と言えるのが利他の心であり大切だ。
利他の心は見返りを求めない。
だけど、回り回って必ずなんらかの形で帰って来る。
そもそも感謝するとは見返りを求めるものではない。
生きていることに感謝する。
生かされていることに感謝する。

うーむ。
明石家さんまさんの座右の銘「生きてるだけで丸儲け」と同じです。
徳川家康と明石家さんまさん、いずれも人生の成功者です。
深く感動したので、公衆衛生の賛歌を作成してみました。
知足利他公衆衛生賛歌
公衆衛生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 公衆衛生の外に仏なし
公衆衛生近きを知らずして 遠くに求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
すいません。足るを知らない利己主義の塊の自分を恥じております。
椎葉山で修験道に入って、人生をやりなおすべきかと思いました。
でまかせでつくった賛歌ですが、衆生が仏なら、公衆衛生も仏の道のように感じました。
「公衆衛生の歴史」の著者のローゼンは、むすびにこう書いています。
公衆衛生の歴史は、究極的には、人間が自らの生活条件をコントロールし、より良い、より豊かな生活を追求してきた物語である。
そしてその歩みは、これからも人間が自由で尊厳ある存在であり続ける限り、終わることなく続いていくのだ。
つまり、道なのです。
知足利他公衆衛生賛歌は、それほど外してはいない気がしました。
