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「ひとたらし」の命名者は谷沢永一先生で「人間通」の作者である。谷沢先生の数々の著書のおかげで、なんとか人生を歩んでこられたと感謝している

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」を見ました。

追放される織田家の重鎮の佐久間信盛が、信長に挨拶に来たのですが、豊臣秀吉が、あいにく殿は手が離せない用事があってと断るシーンがありました。

おそらくは嘘なのですが、佐久間信盛は、「このひとたらしめ」と言って、秀吉に笑顔で答えるシーンが印象的でした。

豊臣秀吉の凄さはこの「ひとたらし」にあります。

「女たらし」と言われて喜ぶ人はいませんが、「人たらし」と言われたら、どんな人でもにんまりすると思います。

ただ新しい言葉なので認知度が少ないかもしれません。

「ひとたらし」の命名者は、谷沢永一先生です。「人間通」の作者であり、私は、谷沢先生の数々の著書のおかげで、なんとか人生を歩んでこられたと感謝しております。

読書は大事です。

数ある本の中で、「人生の羅針盤」として推薦するとしたら谷沢栄一先生の「人間通」をお勧めします。

さて、秀吉の「本能寺の変」以降、天下統一の道筋は見事です。


途中に、柴田勝家、徳川家康というライバルがはびこりますが、「人たらし戦略」で自分の思い描いた未来を現実のものに変えていきます。

秀吉の特徴は、人殺しが嫌いなところです。

真逆なのは、織田信長です。なんでもかんでも敵は殺せと命令します。

これでは、出血が多く、敵も最期まで抵抗します。征服した地も大きな禍根を残すことになります。

秀吉は、なるべく出血を避け、ガチンコの闘いはしませんでした。人の命を大事にする戦略をとっています。

九州征伐でも島津家を根絶やしにすることはしませんでした。島津家には本領安堵を行います。これにより、島津は豊臣家に忠誠をつくします。

しかし、晩年の豊臣秀吉は、性格が変わったのでしょうか。人の命を奪う残忍な性格になっています。

甥の豊臣秀次の処分は残忍を極めています。

京都の三条河原にて、秀次の子供や妻妾、侍女ら39名が公開処刑されます。遺体はひとつの穴に投げ込まれ、その上に「殺生塚」が築かれました。

なぜ、このように変わったのでしょうか。

伊藤肇さんの「左遷の哲学 嵐の中でも時間はたつ(新装版)」(産業能率大学出版部)を読みました。

この本に考えさせられる例が掲載されていました。

ある高名な法律家が天寿を全うしてなくなった。

その葬儀の席で、故人をみとり、死後の解剖のメスをとった老教授が一風かわった挨拶をした。

故人は生前、超一流の弁護士でありながら、思想問題などで弾圧された無名の若い学究の弁護をすすんで引き受けられ、多くの人々が故人の高い学識と有能な法定技術によって救われました。

そういう際にも故人は、相手の事情によっては、弁護料など請求されず、調査費用も自弁で活動されました。

しかし、晩年になって、故人はかわりました。

ときとしては、法外な弁護料を請求されて驚かれた方々や、かつて、あれほど無欲無私であった故人が、金銭に異常な執着を示されるのに気づかれた人々もおられることと思います。

故人を解剖してみましたところ、脳の部分に著しい老年性の退行変化がみられました。

そのため、人格が一変したかのような印象を与えたものと思います。

つまり、故人の脳は人格的にそのもちまえの立派な能力を生理的な死を迎える何年か前に既に失っていたと考えられます。

ご会葬の皆様、どうか、この辺の事情をおくりとみのうえ、特に亡くなられる前の数年間、故人は普通の状態ではなかったとお考え下さい。

改めて本質的には見事であった生前をご想起いただきたいと存じます。

伊藤さんは、言っています。

いかにすぐれた経営者でも、亡くなった日から逆算して三年間にやったことは全部失敗である。たぶん、解剖すれば脳に、”老年性の退行変化”ができているに違いない。

なるほど。そうだったのか。

豊臣秀吉の場合は、老年性「退行変化」ではなくて、老年性「太閤変化」と言った方がいい感じですね。


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