武田信玄には哲学を感じないが、上杉謙信には哲学を感じる。戦国最強だった武田家は滅びるが、上杉家は関ヶ原で徳川家康に対抗しても生き残った
稲盛和夫シリーズの第4弾です。
稲森さんは、自分の生き方を律する確固たる哲学を持つことの大切さをいろいろな言葉で表現しています。
哲学というと少し大げさに思えるかもしれませんが、判断基準、考え方、信念、生きる指針、と呼んでいいものです。
その一つに「哲学のない人生は、錨のない船のようなもの。どこに行くか分からない。」があります。
錨のない船が潮の流れに任せて漂流するようなもので、いつも流行を追うような生き方をします。
この水が甘いと言えばそっちへ行き、この事業が儲かると聞けば、なるほどと乗ってしまい、こうすれば株価が上がると言われると、何も考えずに言われるがままの対応をしてしまいます。
稲森さんは断言します。
「悪魔はニコニコ顔でやってくる。哲学がないとそれに乗り、失敗してしまう」
稲森さんが言う「哲学・フィロソフィ」とは、「人間として正しいこと」です。
具体的に、「嘘をつくな」「正直であれ」「人のために役立ちなさい」「一生懸命努力しなさい」「弱いものをいじめるな」「欲張るな」という初歩的な道徳のようなものだと説明をされています。
しかし、稲森さんはこうも言っております。
「真理は単純なもの、しかし実行は難しい。でも、実行しないと価値はない」
この真理は、哲学と言い換えることができます。

「謙虚さは魔除けになる」そうです。
いくら人生のあり方を学んでいても、謙虚さを失えばそれに反した行動を平気でするのが人です。
逆境に陥ったとき、それは自分の至らなさが招いた結果だと謙虚にとらえて、反省し、それに真正面に立ち向かうことが大事です。
ニコニコ顔でやってきた悪魔から「助けてあげよう」と誘われても、そんな甘い話があるはずはないと、険しくてもまっとうな道を選ぶ。
順境のときは、それは自分に能力があったからではなく、皆が協力してくれた結果だと謙虚にとらえ、さらに努力をしようと思う。
そのような考え方が必要です。
成功したら有頂天になって判断を誤るかもしれません。
失敗したら、人生を否定的に見るようになって判断を誤るかもしれません。
人の心は弱いのだから、謙虚に認めて、どんな状況におかれようとも、変わることのない哲学を持つための努力を続けることが大事です。
謙虚さを無くし、自分の心は強く判断を誤るはずはない、という傲慢さがあれば、いつかニコニコ顔でやってくる悪魔の餌食になります。

「謙のみ福を受く」という中国の格言も同じ意味で、稲森さんは著書で紹介しています。
「一流のスポーツマンでさえ、練習を怠るとすぐにケガをしてしまうように、人間の心もフィロソフィを学び続けないとすぐに劣化してしまう」と稲森さんは指摘しています。
いつも笑顔でいることは利他行である。
幸せを感じて、喜びを感じて、自分に対して、生きていることに対して、毎日感謝して暮らす。
感謝があるかないかで人生が変わる。
できるだけ感謝の言葉を口にすべきだ。
哲学を持っていると世渡りがしにくい。
だから哲学のないリーダーが増える。
自分の欲で成功しても、相手、社会に対して敵を作ることになる。
それでは十年、二十年と永続しない。
フィロソフィを信じているからフィロソフィが使える。
人の心とフィロソフィを信じているかどうかで結果は全く違う。
フィロソフィを繰り返し学び、心にしみ込ませれば、人格が変わる。それは運命に反映される。
自分は、誰から見ても正しい生き方はまだ百%できないけれど、それを目指して努力をしていこうとまず思うことが大切だ。
哲学・フィロソフィは大事です。

産業医大の初代学長の土屋健三郎先生は、「哲学する医師になれ!」と6年間にわたって訓示しました。
意味不明のことをいう先生だと、学生時代はその意味や価値はわかりませんでした。
還暦を過ぎて、その言葉がヒポクラテスの言葉であり、また稲森さんがくりかえしフィロソフィと言うことを知って、ようやく賢人の言葉の意味が分かりました。
武田信玄には哲学を感じませんが、上杉謙信には哲学を感じます。
戦国最強だった武田家は滅びますが、上杉家は関ヶ原で家康に対抗しても生き残りました。
江戸時代にお家断絶の危機がありましたが、「敵に塩を送る」謙信の哲学のおかげで、戦国以来の名門をつぶしてはいけないと関係者全員が思った結果、高鍋の秋月藩から養子を迎えて存続することができました。
これが上杉鷹山です。
鷹山の言葉は、海をわたって、アメリカ合衆国大統領ケネディが使い、墓にはその言葉が刻まれています。
名前に「謙」がある人は、福を受けるかも。
かなり、結論がねじ曲がったような気がしますが、要は哲学が大事ということです。
ちなみに、宮崎出身のわれらが東村アキコ先生の上杉謙信の漫画「雪花の虎」は面白いです。
