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第一次世界大戦中に鉛の女キューリーは、Ⅹ線撮影車をつくって野戦病院を回った

宮崎県内の保健所には、
レントゲン撮影機を搭載した車が
普通に停まっています。

X線車を世界で最初につくった人は、
ラジウムなどの放射性物質を発見した
ポーランド人の女性科学者キューリー
です。

一九一四年に第一次世界大戦が勃発しました。

キューリーは、
出征して男がいなくなった大学の研究室で、
X線撮影装置と発電機を載せた車を
つくりました。

愛国者のキューリーは、
第二の母国フランスのために、
何か貢献したいと強く思っていました。

大学生の娘イレーヌを呼び寄せ、助手にして、
さっそくX線車で病院に乗りつけました。

当初、病院にいたフランス軍の軍医たちからは、まったく無視されて、冷たくあしらわれました。

ところが、実際にX線撮影をしてみると、
骨折の状況や体内での銃弾のある位置が判って
治療に有効なことから、
軍医たちは、一転して協力的になりました。

キューリーがつくったX線撮影車は、
「プチ・キューリー」とあだ名がつきました。


キューリーは、
パリの裕福な夫人達に呼びかけて寄付を募って、そのお金でさらにX線車をつくりました。

X線撮影装置の有効性を 
理解したフランス軍首脳は、
各病院にX線装置を設置するとともに、
X線技師学校を設立しました。

娘のイレーヌは、技師学校の教官となりました。

終戦までにフランス軍は、
二〇台のX線車両と
二〇〇ヶ所の病院にX線装置を設置しました。

ヨーロッパ戦線に参戦した
米国軍兵士一五人がこの学校に入って、
X線撮影の講義と実習を受けて、帰国しました。

こうして米国でも、
X線装置が普及していきました。

第一次世界大戦では、
参戦国の一〇〇万人以上の兵士が、
X線検査を受けたと言われています。

日本では
第一次世界大戦は全く記憶されていませんが、
フランスでは十一月十一日は
第一次世界大戦休戦記念日で祝日です。

フランスの旧五〇〇フラン札は、
キューリー夫妻の肖像画と
X線車「プチ・キューリー」の絵です。

ポーランド人のキューリーは、
フランスの英雄なのです。

キューリーは
自らが発見したラジウムをとことん愛して、
夫のピエールの腕に塗って、
火傷が生じるたびに、喜んでいました。

この細胞を障害する機能が、
がん細胞に効くのだと信じ込みました。

キューリーは、
ラジウムが発する光にうっとり
とすることが多々あったのです。

ラジウムは、様々な用途に用いられました。
暗いところでも光るので、
時計盤の数字文字に多く使われました。

時計工場は、アメリカに多く造られました。

ラジウムの粉を溶かした液体を
筆で塗る作業に従事したのは、
若い健康的な女性でした。

「ラジウム・ガール」と呼ばれました。

ラジウムガールは、
ラジウムを筆で時計盤の文字に塗り続けました。

筆の先をそろえるために、
筆先を舐めて作業をしました。

やがて、ラジウムガールに、
口腔がんが発生したり、
顎の骨が溶けるといった病気が頻発しました。

放射性物質のラジウムには発がん性があり、
微量のラジウムを長期的に摂取した
ラジウムガールは、
口の中や顎に腫瘍ができたのです。

作業中に舐めなかったラジウムガールには
そうした病気は発生しませんでした。

キューリーは、
実験室での暴露防止対策は 
全くとっていませんでした。

キューリーが使った実験ノートが
残されていますが、
今でも放射線を出しているので、
実物は公開されていません。

キューリーの死因は、再生不良性貧血でした。
ラジウムの影響である、と考えられています。

さらにキューリーの棺桶には、
2.5mmの鉛の内張がしてあったそうです。

実験ノートだけでなく、
家具、料理本、衣類などの彼女の持ち物は
鉛で裏打ちされた箱に保存されています。

鉛の女キューリーに匹敵するのは、
鉄の女サッチャー英国首相だけかも。


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