日本には、ブレーン・ドレナージがない
医療の国際化を考えた際に、
我が国は珍しい歴史を持っています。
それは、医療を自らで選んできたという歴史です。
あまり指摘されることはありませんが、
実は、我が国の医療を考える上で重要な視点です。
奈良時代以降、我が国は律令国家の中国から医療技術や薬を取り入れました。
中国の進んだ医療を学び、直接日本に持ち帰る留学生も多数いました。
戦国時代には、キリスト教の宣教師たちが、ポルトガルなど西洋の医学を伝えました。
特に外科が優れていました。
江戸時代には、オランダから西洋医学が入ってきました。
解剖学や種痘はイノベーションでした。
幕末には、幕府は正式に学校を造ってオランダ人医師を招聘し、医学を学んでいます。
明治になってからは、ドイツ医学に変更し、ドイツから教官を招いて医学教育を行いました。
またドイツに留学生を送って、
世界の最先端にあった細菌学や病理学などのドイツ医学を学ばせています。
日本にとって幸運だったのは、
医学のブレイクスルーが一九世紀後半に
相次いで起こったことです。
消毒、麻酔、細菌学の発展は、日本の開国とほぼ同じ時期でした。
西洋医学は、それほど高い水準に発達はしていませんでした。
後進国の日本でも、比較的短期間にキャッチアップすることができました。

第二次世界大戦後、日本は米国に占領されます。
このときドイツ医学からアメリカ医学に変わりました。
それまでは医学はドイツが世界一だと信じていましたが、そのドイツを負かした国がアメリカでした。
アメリカの技術は圧倒的でした。
象徴的なのはB29とジープです。
この機能的な美しさに、日本人は負けたと思いました。
医学においても、DDT、輸血、麻酔、抗マラリア薬、予防接種、ペニシリンなどで圧倒的な差がついていました。
GHQの福祉保健局長のサムス准将は、日本にアメリカ医学を定着させました。
医学教育制度を改め、医師法に基づく医師国家試験の実施や、医療法に基づく科学的な医療の提供体制の構築を進めていきます。
モデル病院、モデル保健所をつくりました。
医学部にはモデル的に公衆衛生学の教室を置きました。医師国家試験の科目に公衆衛生学を入れました。
厚生省に衛生三局と薬務局を設置し、全都道府県に衛生部を置き、保健所・衛生検査所を整備しました。

一九五二年に日本の占領は終了します。
これ以降は、日本は自力で、医療や公衆衛生制度を作っていきました。
新幹線や黒部ダムの建設には世界銀行の協力がありましたが、日本の医療に介入した国際機関はありません。
一つの到達点は、一九六一年の国民皆保険の実現でしょう。
世界で四番目でした。

一般に、旧植民地国は、独立しても宗主国から医療を学びます。
発展途上国には外国資本が介入することが多く、たいてい外国の病院が入ってきます。
また国際機関も介入します。
日本にはそのようなことが、ほとんどありませんでした。
発展途上国の出身の医師や看護師は、宗主国の大学に留学し、自国に戻ってこないことがあります。
収入を得るために、自国から宗主国に移り住むこともよくあります。
優秀な医療スタッフは、国際機関にリクルートされることも多いのです。
こうした医療従事者の外国への流出は、
「ブレーン・ドレナージ」
と言われます。
いわゆる頭脳流出で、発展途上国を悩ます問題となっています。
日本は、医療スタッフのブレーン・ドレナージのない珍しい国です。
外国の大学や研究所に留学しても、日本に帰ってくることが多いのです。
米国のNIHの幹部は、日本人の留学生を歓迎していました。
理由は、日本人の研究者は日本に帰るからとのこと。
他の国の留学生は母国には帰ることは考えていないので、ポストの準備やいろいろと大変だということでした。

日本は、日本語だけで医学を学ぶことができる珍しい国です。
ほとんどの医学用語が日本語に翻訳されています。
他の国では、自国語に翻訳されていないことが多いのです。
日本人が、日本国内の大学や研究機関で研究してノーベル賞を受賞しているのも、極めて珍しい現象です。
世界で創薬ができる国は、六か国しかありません。
米国、英国、フランス、ドイツ、スイス、そして我が日本です。
「日本は創薬力がない」と言う人がいますが、
それは無知なのか、
日本を貶めたいのか、
のどちらかでしょう。
