作家の檀一雄、作詞家の永六輔、作曲者の服部良一など、いずれの方々も宮崎が大好きだった
渡辺鋼纜氏の「翔べフェニックス 見果てぬ夢の彼方へ」(鉱脈社)を読みました。
これを読むと、宮崎とゆかりのある文化人がたくさんいたことが判ります。
作家の檀一雄、作詞家の永六輔、作曲者の服部良一などです。
いずれも宮崎が大好きでした。
服部良一は青い山脈が有名です。よくテレビで指揮をしているところを見たことがありました。
我が母校の宮崎西高の校歌の作曲者だったとは知りませんでした。
さらに、永六輔は「フェニックス・ハネムーン」の作詞をしています。

岩切章太郎は、フェニックスを植え、コスモスを植えて、宮崎を観光地にしました。
宮崎について、知らないことが多すぎます。
「宮崎観光の父」と言われた岩切章太郎の「無尽灯」(鉱脈社)を読みました。
偉人というのはこういう人を言うのでしょう。
一高、東大を出て、住友に3年勤務して、宮崎に帰って事業を行いました。
中央ではなく地方で、旗を振る仕事ではなく旗を見てする仕事をし、他人が手を出さない、手を引いた仕事を行うことを決意します。
バス会社を運営しました。
事故を起こし、それ以降、無事故を徹底しました。

観光を手掛けますが、宮崎には史跡も温泉もなく、神話と伝説しかない土地でした。
南国宮崎のイメージを作るために、成長の遅い枇榔樹ではなく、カナリア諸島に生えているフェニックスを植えました。
大地に絵を描くように事業を進めていきます。
サービスも観光にして、バスガイドの育成に努めました。
空港、ゴルフ場、えびの高原などの整備をすすめます。
フェニックスは県の農業試験場に1本有ったのだとのこと。
南国宮崎は作られたものでした。
バスガイドの話す内容も岩切章太郎が書いたそうです。
文章も一流で、「無尽灯」も、誰が読んでも分かり易く、面白く、ためになるように書かれています。
昭和11年から岩切章太郎はフェニックスを植えています。
それから約30年後に川端康成が宮崎に来ました。
夕日に映えるフェニックスの美しさに心を打たれます。
川端が原作のNHKの連続テレビ小説「たまゆら」のロケ地となり、一躍全国に知れ渡りました。
牧水も青島や都井岬で椰子の実や枇榔樹を詠んでいます。

檳榔樹の古樹を想へそその葉蔭海見て石に似る男をも
椰子の実を拾いつ秋の海黒きなぎさに立ちて日にかざし見る
あはれかすかに声す拾ひつる椰子のうつろの流れ実吹けば
当初、枇榔樹を植えようとしましたが、生育が遅いので断念し、フェニックスを選んでいます。

夜、大淀川の花火大会がありました。
高校以来です。
フィナーレは、橘橋から滝のように火花が流れ落ち、その向こう側で大輪の花火がなんどもさく裂しました。
まるで外国のリゾート地に来たような感じを味わいました。
