経済調和条項が全面削除された結果、日本は「公害垂れ流し国家」から「環境先進国」へと舵を切ることになった
私が好きな評論家に日下公人さんがいます。
日下さんの本はだいたい読んでおりますが、毎回、切れ味のするどい内容ではっとさせられることが多いです。
日下さんは、日本長期信用銀行に勤務していた頃に、経済企画庁に出向したことがあります。
このとき経済企画庁で、厚生省から出向していた医系技官の橋本道夫さんと出会っています。
橋本道夫さんのことを知っている人は、ほとんどいないでしょう。
知っている人は、「環境」に相当詳しい人だと思います。
Geminiに聞いてみました。
橋本さんは、出向していた経済企画庁で「公害」という概念をつくりあげた伝説の人です。
1964年に厚生省に「公害課」が創設されたときの最初の公害課長となります。
当時はまだ「公害」という言葉の定義すら曖昧で、経済成長を最優先する他省庁や経済界からの猛烈な逆風が吹く中、法規制の土台作りに奔走しました。
1967年に制定された「公害対策基本法」の立案・調整において、中心的な役割を果たしました。
この法律ができたことで、その後の大気汚染や水質汚濁に対する具体的な規制法や、環境基準の策定が可能となりました。
1970年のいわゆる「公害国会」では、公害関連法案の一斉成立に向けて不眠不休で国会対応にあたったと言われています。
1971年に環境庁が発足すると、大気保全局長などを歴任し、現場の行政をリードしました。
退官後は、筑波大学教授などを務め、国内外の環境政策の研究・提言や、更新の育成に力を注ぎました。
橋本さんの功績は、公害を単なる「地域の一過性のトラブル」ではなく、国家が法と行政によって規制・解決すべき構造的課題へと昇華さえた点にあります。
医学的知見と官僚としてのタフな交渉力を併せ持ち、日本の環境行政の背骨を作った人間です。

橋本さんが退官後に書かれた「私記環境行政」(朝日新聞出版)という本があります。
私が環境庁に出向していたときに、環境庁生え抜きのキャリア官僚の必読書となっていました。
私は、厚生省の医系技官の先輩である橋本さんのことを知らずに、恥ずかしい思いをしました。
本を読むと、出だしがすごいです。仁徳天皇の「民のかまど」の話から始まっていました。
知らない人もいると思うので、その概要です。
仁徳天皇が高台から国中を見渡した際に、家々から調理の際に出るはずの「煙」が立ち上がっていないことに気がつきました。
仁徳天皇は、「煙が立たないのは、民が貧しくて炊く米がないからだ」と察し、ただちに3年間の租税(税金)と強制労働(役務)を免除することに決めました。
税が免除された結果、民衆の暮らしは徐々に豊かになっていきましたが、宮殿は修繕もできず、雨漏りがし、壁が崩れるほどに荒れ果ててしまいました。
仁徳天皇は「民が豊かになることこそが、最も大切なことだ。民が富んでいるなら、私も富んでいるのと同じである」と、宮殿の修繕はしませんでした。
3年が経ち、再び高台に登ると、今度は至るところから豊かな煙が立ち上っていました。
これを見た仁徳天皇は、深く喜び、ようやく税を再開し、荒れ果てた宮殿の建て替えを許しました。
つまり、煙突からの煙はその地域の「繁栄」を意味していたのです。
工場が建って煙突から煙りが出るのは、その地域の繁栄の象徴でした。
繁栄イコール経済発展にブレーキをかける「規制」は、多くの経済人から反対されました。
公害対策基本法には、「経済との調和」という文言が入れられました。
この「経済調和条項」により規制することは困難を極めました。
橋本さんら厚生省の現場がどれだけ規制を強めようとしても、この「経済との調和」の壁にことごとく阻まれることになりました。
橋本さんたちは、超人的な努力の結果「経済との調和」の文言を撤廃することに成功します。
さすがに、これ以上生活を犠牲にして経済発展を優先させることは、国民の許容限度を超えおり、政治が動いたのです。
経済調和条項が全面削除された結果、日本は「公害垂れ流し国家」から、「環境先進国」へと舵を切ることになりました。

橋本さんは、大阪大学の医学部を出て、大阪府の保健所に勤務した公衆衛生医師で、その後厚生省の医系技官となりました。
公害対策は、これまで医系技官はやったことがない未知の領域でした。先輩からは伝統的な公衆衛生をやるようにアドバイスされます。
しかし、そうした「常道」に背を向けて、公害に立ち向かっていく姿には感銘を受けました。
まさに、「パッション」を感じました。
今では、環境省にはこうした公害の歴史を知らない職員もおり、公害の経験のある地方自治体で職員研修をすることが議論されています。
宮崎県でも県の保健師が研修で、土呂久の住民健康調査に従事することになりました。保健師は事前に土呂久公害の歴史の学習をします。
歴史を学ぶことは大事なことです。
歴史とパッションは、未来に向かう推進力となると思います。
