椎葉の神楽の祝手は蝶鳥のように舞う
飯田辰彦さんの「生きている日本のスローフード 宮崎県椎葉村、究極の郷土食」(鉱脈社)を読みました。
母を祀っている神棚の横に置かれていたものを久々に手に取ってみました。
作者の飯田辰彦さんは、私の両親が経営する旅館「山椒」を定宿にして、椎葉村の各地で取材した食文化を、この本で紹介しています。
父と母の写真が何度も登場します。元気だったときの母の姿を見るのは、大変懐かしい感じがしました。
帯にある文章は次のとおりです。
贅沢・豪勢の対極に豊かさの本領を見る
生命の十字路 椎葉
雑穀が育つ日向の奥山に身をもって体験したかくも豊がで多彩な食文化
ふる里の味は人生を、風土を、そして時代を映しつつ、さらに未来へと受け継がれてゆく。

飯田さんは、この本の中に、私の父から教えられたことを記していました。
あとで今朝義さんから教えられたことだが、「山椒」のある地元上椎葉の冬の夜神楽の時期、こんなせり歌がうたわれるという。
♪ ハベロこっこ ちいこっこ
よう舞う舞うね
ちなみに、ちいとは鳥のことだそうで、このせり歌自体、舞いの動きが激しくなったときにはやされる一節らしい。
神楽を舞う祝子(ほうりこ)をハベロやちいに見立ててはやしているのである。
今朝義は私の父。
ハベロは、蝶を意味します。椎葉の地域によって、ハベレオ、ハベリョーと変化します。
伝説のプロボクサー「モハメッド・アリ」は、蝶のように舞い、蜂のように刺す、と言われました。
蝶が使われると、優雅に見えます。
「平家」の家紋は、アゲハチョウ。なんとなく優雅です。

この本が出版されたのは、2005年。今から21年前のことです。
母を含め、本に登場する多くの人が亡くなっています。
はじめに書かれた文章にははっとさせられます。
二十年前、初めてこの土地に足を踏み入れたとき、
悠揚迫らぬ、じつに生き生きとした時間が流れていた。
過疎からくる空虚さなど、まるで無縁の山里だった。
どこを歩いてもエネルギーの充満が感じられ、
人々の息遣いが手に取るように伝わってきた。
彼らは奥山に住むことに誇りを持ちこそすれ、
けしてその不便と不足をかこつことをしなかった。
彼らはゆとりの何たるかを知っていたが、けして休まなかった。
否、厳しい自然環境が休む余裕をつくらせなかったのだ。
だから、身を粉にして働いて、働いて、働き尽くすしかなかった。
それが椎葉人の気質を作り、山里の独自の文化を育んだ。
しかも、働くことを美徳とする彼らだからこそ、
そこに前向きで、情熱にみちみちた文化が醸成されるのは必然だった。
狩猟、焼畑、芸能、祭礼など、さまざまな民族文化が華開いたが、
とりわけ、ヤボ(焼畑)をベースに構築された食文化が圧巻だった。
その根幹には、限られた資源を最大限、かつ永続的に使うための、
高度かる柔軟な暮らしの知恵が集積している。
毒抜き・アク抜きの術を言うに及ばす、
生き物の生態を知悉しての利用法には、目を見張るものがある。
一方で、それらには日本食の発展段階を示すものも少なくなく、
和食の源流を探る意味でも、興味は尽きない。
椎葉に伝承される食文化がわれわれに示唆するものは、けして小さくない。
また、暮らしの極限状況は、ときに人間の思考を畏縮させるが、
そこを終の住処と思い定めた不屈の民には、
上昇・発展の契機を与える。
それを身をもって証明したのが、ほかならぬ椎葉の山人であった。

山菜
菜豆腐
釜炒り茶
焼畑
川ノリ
煮しめ
ハチミツ
カシの実コンニャク
ユズ
狩猟
ヤマユリ
ウナギ
オオシ
クジラ
ヒメ
イワタケ
ダゴ汁
エノハ
麦包み/ドブロク/ウムシ飯
紹介されている食べ物の中で、椎葉村出身の私も食べたことがないようなものがあります。

母シゲ子が登場する、カシの実コンニャクと麦包みの章には、懐かしさを覚えました。本の中で、母は生きていると感じました
