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私はジムニーを最初に見たときに、ミリタリー的で山間部のへき地医療に従事するスタッフが乗りそうな車だと感じた

永井隆著の「軽自動車を作った男 知られざる評伝鈴木修」(プレジデント社)を読みました。

鈴木修さんは、自動車会社のスズキの社長として約40年間勤務して、昨年末に94歳で亡くなりました。

日本の軽自動車を作った超大物です。

恐縮です。

私はまったく知りませんでしたが、面白すぎたのでハベレオ通信で、ご紹介させていただきます。

岐阜県の下呂の温泉街に生まれ、終戦のときは特攻隊基地で迎えております。

その後、地元の益田農林学校に復学し、師範学校を出て、教員資格をとって、小学校の先生となりました。

教員をして稼いだお金で、中央大学法学部に入り、卒業すると地元の銀行に就職しました。

銀行員時代に、スズキの二代目の社長に見いだされ、鈴木家の婿養子となり、スズキに入社しております。

車の知識はゼロでした。

軽自動車の企画が制定されたのは、1949年のことです。

1955年から、軽自動車は排気量が360ccが上限とされました。

軽自動車の規格は、時代のニーズに合わせて徐々に拡大されてきました。

1955年~:360cc(「スバル360」などの時代)。

京セラの創業期です。

稲盛和夫社長は、社用車のスクーターに乗っていましたが、ようやくスバル360を社用車として買うことができました。

運転手はおらず、自分で運転していました。

1976年~:550cc(走行性能と排ガス対策の両立のための拡大)

1990年~:660cc(現在と同じ・衝突安全性の向上のための拡大)

軽自動車税ができたのは1958年です。

自動車税が都道府県税であるのに対し、軽自動車は市町村税です。

私は、宮崎に帰ってきてからは軽自動車に乗っておりますが、宮崎市から軽自動車税の納付書が届いたときに、初めて市町村税であることを知りました。

由来を見ると、自転車税(市町村)が廃止されたことに伴い、急速に普及してきた軽自動車を対象に、新たな市町村の財源として軽自動車税が作られたようです。

現在の税金は、普通自動車が排気量ごとに2万5千円から11万円に細かく設定されていますが、軽自動車は自家用では1万800円です。

さて、話を元に戻すと、当時は、全国各地に軽三輪、軽四輪のメーカーが誕生していました。

今も残っているのはスズキだけです。

軽自動車は、普通自動車と比べて、排気量や車体の大きさなどが制限されていますが、その分税金が安いのがメリットとされています。

日本にしかない企画です。

さて社長の婿養子として自動車会社「スズキ」に入った鈴木修さんは、順風満帆で社長になったかというと全く違っています。

アメリカの工場に赴任してオートバイを販売しますが、全く売れず10億円の赤字をつくってしまいます。

赤字の責任をとって社長に辞表を提出しました。

最終的に辞表は社長あずかりとなり、退職には至りませんでした。

左遷されてしまった鈴木修さんが、手がけたのが、ジムニーです。

蟄居の身だった鈴木修さんは、ホープ自動車が受注販売している軽四輪駆動車「ホープスター・ON型4WD」に注目します。

もともとは、陸軍が開発していた車で、アルミニウムを多用した試作車を富士山麓の原野を試乗したときにアルミにひびが入り、陸軍に採用されませんでした。

このときの技術者がホープ自動車に転職していたのです。

三菱自動車から供与されたエンジンをつかい、注文を受けて手作りで生産をしていた車でした。

ホープ自動車のホープスターの一号車を買ったのは、熊本県の山間部で地域医療に従事している医師でした。

鈴木修さんは、陸軍オリジンのデザインの車に、「これは売れる!」と思ったそうです。

いわゆる事務屋の鈴木修さんは、車に関する知識はありませんでしたが、売れる商品かどうかを見分ける「嗅覚」を持っていたようです。

ホープ自動車の社長と人間関係を構築していきます。

あるとき、社長がエンジンの供与を受けている三菱自動車について、新しいエンジンを供与してもらうときに社内の稟議書のハンコが50個必要だとぼやいていました。

鈴木修さんは、「我が社ではハンコは3つで済みます。スズキのエンジンに変えませんか」と持ちかけました。

その後、鈴木修さんは、車両の製造権の買い取りをホープ自動車に提案しました。

「うちでつくらせていただければ、30万円くらいでつくれます」

その買い取りにホープ自動車は応じました。

その後、ホープ自動車は自動車から撤退し、社名を「ホープ」に変えて、遊園地のメリーゴーランドなどの子ども向けの遊具メーカーに事業転換しました。

最終的には、倒産してしまったそうです。

一方、本社で「面白い車があります。買い取って、商品化すれば必ず当たります」とプレゼンをした鈴木修さんは社内で復活しました。

スズキは、1968年夏に試作車をつくり、開発を本格化します。

初代ジムニーを発売したのは、1970年4月。

価格は47.8万円。

鈴木修さんは、40歳を越えたときでした。

鈴木修さんはその後社長となり、自動車産業の無かったインド進出を決めました。

「日本市場はどこも金太郎飴だ。どの県も1位はトヨタ、2位は日産、後発のスズキは、地元の静岡県でさえ無理」

ならば、海外に出てどこかで1位を取ろう。

一番を取れば、社員の士気は上がる

先進国では、スズキが得意な小さな車では勝てない。

そうだ、自動車メーカーのない国に出れば、間違いなく一番になれる

そこで目を付けたのがインドです。

飛行機の中で、「インド政府が国民車構想を持ち、パートナーを募集している」という新聞記事を目にしました。

現在、インドで走っている車の4割は、スズキだとのこと。

全く知りませんでした。

インドでは、1.5リットルの「ジムニーシェラ」、「ジムニーノマド」が生産されています。

スズキの世界生産台数は330万台、このうちインドでの生産台数は210万台で、6割以上がインドで生産されています。

鈴木修さんは、生涯にインドを約170回訪問したそうです。

私は、ジムニーを最初に見たときに、なんとなくミリタリー的で、山間部のへき地医療に従事するスタッフが乗りそうな車だと感じました。

今は亡きホープ自動車が受注製造していたときの第一号車は、熊本の山間部の地域医療をやっている医師が納入したという記載を見て、予感が当たった!と感じました。

産業医大で、ジムニーを買った同級生がおり、ついたあだ名がジムニーです。

現在は、大学教授です。ジムニーに乗って地域医療をやっているかについては、次回の同窓会のときに聴こうと思います。

先日、宮崎市内の住吉神社に行った際に、隣にあるフェニックス自然動物園に入りました。

45年ぶりです。

古いメリーゴーランドがありましたが、もしかしてホープ製だったかも。

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