見出し画像

駐屯地は、過去1000年ほどの歴史を調べて地震や水害の被害を受けることの少ない土地を選んでいる

私は東京にいたときは、
毎年、靖国神社に初詣をしておりました。

青森から引っ越したときの正月に、
どの神社に初詣に行くか迷っていたところ、
テレビで靖国神社が問題とされていました。

まだ行ったことがなかったので、
一度行ってみようということになりました。

当方の祖父とその弟は、
フィリピンとブーゲンビル島で戦死
しているので、
そのお参りもしようと思ったのです。

靖国神社は出店が並んで華やかで
大変賑わっていました。

近くには大使館がたくさんあり、
外国人の参拝客もおおぜいおりました。

本物の「猿回し」を、初めて見ました。

当時モデルをされていた梅宮アンナさんが
晴れ着で来ておりました。

靖国神社には、大村益次郎の銅像があります。

靖国神社にある大村益次郎の銅像

初代の兵部省の大輔(次官)で、
陸軍の基礎をつくった長州人です。

司馬遼太郎さんの小説「花神」の主人公で、
NHK大河ドラマにもなりました。

もともとは、
大阪の適塾で緒方洪庵に学んだ医師ですが、
開業しても愛想がなく、
患者が全くよりつきません。

得意のオランダ語をいかして、
西洋兵学を修め、
長州征伐のときには、
長州軍の部隊を指揮して幕府軍を撃退しました。

上野に立てこもる彰義隊を、
アームストロング砲を使って
破ったことでも有名です。

明治2年の京都に出張中に、
長州藩士のテロ集団に襲われました。

傷を負った足の治療をするために、
大阪の病院に送られます。

オランダ陸軍の軍医ボードウィンによる
切断手術を受けましたが、
敗血症で亡くなりました。

大村は、
「傷を負って兵士の痛みが初めてわかった。早急に軍陣病院を整備するように」
と最期の手紙に書き残しています。

国立大阪医療センターの横にある大村益次郎の碑


熊本城内にある国立病院機構熊本医療センターで講演をしたことがあります。

もともと陸軍病院で、
設置した直後に神風連の乱があって、
その乱で負傷した熊本鎮台の兵士の治療をした
と院長先生が言っておりました。

熊本市桜山神社にある神風連の隊士の墓

熊本地震では、
熊本市民病院などの主要な医療機関が
地震で大きな被害を受けましたが、
熊本医療センターはほとんど無傷で、負傷者の治療に当たったそうです。

明治時代に陸軍が設けた駐屯地は、
過去1000年ほどの歴史を調べて
地震や水害の被害を受けることの少ない
土地を選んでいる

という話を
自衛隊の幹部から聞いたことがあります。

孫子の兵法には、次の文章があります。

凡そ軍は高きを好みて下きを悪み、
陽を貴び陰を賤しみ、生と養いて実に処る。
是を必勝と謂い、軍に百疾なし。


現在の陸上自衛隊の駐屯地は、
例外なく、高台にあります。

大村益次郎の碑にあるレリーフ


防衛省のあるところは、
もともと名古屋藩の江戸屋敷があった場所です。

熊本藩主の加藤清正が、
家康に譲って欲しいとねだったようですが、
慎重な家康は清正にはゆずりませんでした。

自衛隊中央病院や衛生学校のある三宿は、
渋谷の高台に位置します。

表紙の写真は三宿駐屯地です。

ここには、
旧日本陸軍の医学博物館である彰古館があり、
神風連の乱で刀傷を受けた兵士のスケッチ
たくさん残っています。

神風連の隊士は、刀剣のみで熊本鎮台を襲いました。

一方の鎮台兵は銃で応戦し、鎮圧されています。

廃刀令が出た後の日本で、このような大量の刀傷を見ることは無くなるので歴史的な資料になると考えて、スケッチを残したようです。

彰古館は、
あらかじめ申し込みをすれば見学ができます。

医学の歴史を知るのに、最高の医学博物館です。

ちなみに、病院や保健所は、
孫子の兵法に学んで
高台にある方が、
水害にも強くていいと思います。

いいなと思ったら応援しよう!