熊本天草出身の宇良田唯は、ドイツに単身で留学してマールブルク大学で女性初の医学博士を取得した
熊本大学の名誉教授に椎葉中学校の2歳上の先輩がおります。
昨年の6月に父がペースメーカーの交換の手術を受けに、熊本市の病院に入院しました。
そのときに付き添いに行って、熊本大学薬学部も見学してきました。
椎葉中の先輩の甲斐広文名誉教授に、薬学部の薬草園や熊薬ミュージアムを案内していただきました。
薬学部の庭園には、いくつか銅像が建っており、その中で、一番新しい像が目に付きました。
女性で、名前を見ると「宇良田唯博士胸像」とありました。
甲斐先生が、副学長を務めていたときに、熊本大学薬学部の同窓会と唯さんの親族の方の寄付により設置されたそうです。
そもそも宇良田唯(うらた・ただ)って誰?
日本人女性で初の西洋医学の博士学位を取得して、医療の発展に尽力した人です。
熊本県天草市牛深町の出身です。
活躍したのは、1873年~1936年です。
唯は、熊本薬学校を卒業25歳で薬剤師となり、その後、上京して医学校で医学を学び、医術開業試験に合格して、医師となりました。
その後、ドイツに単身留学。日本人女性初の医学博士学位を取得しています。
帰国後は、牛深や東京、中国の天津で眼科や内科、産婦人科の医師として活躍しました。
この胸像は、熊本の彫刻家の緒方信行さんが手がけ、唯がドイツでドクトル・メディツィーネを取得した30歳頃の姿を表しています。

学生の食堂の建物の玄関に向けて設置されたそうです。
その意図は、
明治時代に単身、船で、海外留学する先輩女性がいたのだよ。
男女関係なく、国際的な視野を持って活躍しなさい。
そのためには、博士課程に進学しなさい。
という薬学部長時代の甲斐先生の想いがあったとか。
唯は、医師資格を取得後に、伝染病研究所に入って北里柴三郎の門下生となって、明治36年に単身ドイツに渡って、名門のマールブルク大学で医学博士を取得しました。
そもそもマールブルク大学では、女性初の医学博士でした。
ドイツ人の女性よりも先に日本人の留学生が取得したのです。
医学博士を取得した論文は、新生児淋菌性結膜炎の予防法に関するものでした。
もともと眼科だけを学ぼうとドイツに来たのですが、せっかくなので、内科や産婦人科など全科を学んだという凄い人でした。
日本では、まだ女性に医学博士を与えることは無かったので、どれだけ凄いことか、理解できると思います。
もともと、村の富豪の若主人と結婚をしましたが、置き手紙を書いて、婚家から逃げました。
「私はお婿さんが嫌いで出奔するのではなく、もっと勉強がしたいのです」
お婿さんがいい人で、唯の将来を望む意思と真摯な向学心に理解を示したので、2人の離別は許されたそうです。
薬学校を卒業して薬剤師として働くのですが、故郷の牛深には目の見えない患者が多くいて、東京に出て、医者になることを決意しました。
師匠は熊本出身の北里柴三郎、医学校時代の同期には後に東京女子医大をつくる吉岡弥生、ドイツ留学の同期にはペースメーカーの基になる心臓の洞房結節を発見する田原淳がおります。
個性満点のキャラはそろっております。
時代は、明治、大正、昭和
我が国の女医のパイオニア。
教育よりも、地域医療の現場一筋を貫いた。

いつか朝ドラの主人公になるのではないかと思います。
NHKさん、ご検討よろしくお願いします🙇
その前に、直木賞をとって原作を書いておこうかしら。
