記憶力と頭脳の鋭さ、愛情のこまやかさ、これが床に臥したままの老境の幸田露伴である
小島直記さんの「出世を急がぬ男たち」(新潮文庫)の第二弾です。
晩年の幸田露伴の話が載っていました。井上薫と違って、反老害のカッコよさに感動しました。
幸田露伴は、文豪として名前は高かったのですが、その作品はベストセラーになるものではありませんでした。
幸田露伴のことが、「茶店の亭主」に例えられています。
御自分が番茶をきらって、お客にも玉露を出す。
玉露だなと気のつく客は、茶代をはずんで行くが、多数の客は、いやになまぬるい渋いものを出しやがるぐらいのところで、かえって茶代っは少なくおく。
だから繁盛しませんや。
客が少ないのに、玉露のもとではかかるから、自然に店がもてなくなる。
バカバカしいというので廃業し、往来をはなれた閑静なところでに幽居してひとりで龍団、雀舌の名品を喫む。
茶博士としては天下第一となったが、茶店の亭主としては完全に落第した。
つまり、露伴とはそういう人であり、小説家でありました。

そういう露伴が、実業家の渋沢栄一の伝記を書いています。
露伴著の「澁沢栄一伝」を小島さんは読んで、一種のナゾを感じました。
全文は396ページ。
内訳が、生誕から24歳で攘夷のテロを企て、未遂におわるところまでに72ページ。
25歳で一橋家につかえ、28歳のとき徳川昭武のおともでフランスに渡航する部分に94ページ。
帰国して、30歳のとき静岡で日本最初の株式会社「商法会所」をつくるいきさつに34ページ。
30歳から34歳までの役人時代に93ページ。
明治6年5月をもって官を退き、以後の長い歳月の間、再び官につかず、わが国実業界の発達と全社会の文明のために力をつくすことを怠らず、ついにいわゆる士魂商才の一個の大丈夫、善男子、好紳士、澁沢栄一を成就したのである。
故に栄一の真生涯はむしろ明治6年をもってはじまったといってよいのである。
真生涯に至る前に費やしたページは、292ページで、実に全文量の79パーセントです。真生涯にはわずか21パーセントしかあてていないのです。
小島さんは、真生涯を21パーセントにしたのは、露伴の意図が秘められていると感じたのです。

この長年の謎は、ある本が出版され、それに露伴の言葉が書かれていることで答えが見つかりました。
例の澁沢伝ももうちょっとというところだが、どうもいけない。
今までもらっている資料も若いころのはいいが、晩年のは澁沢が自分で話したことが主になっているから、人間六十をすぎるとよほど確かのようでも、どうもひとりよがりになり勝ちなものさ。
澁沢もなにも自分で法螺をふく気もないが、とかくそうなり勝ちのものだ。
澁沢は六十すぎてからは、自分で考えてやったという仕事がなく、人の世話やら、かつがれたことばかりになっている。
歴史というものは、虚言の束だ。
時の支配者に不利のことをかくことができないのだから、大抵いいかげんのものになってしまう。
要するに露伴は、あやふやだとおもうことを、記述の中から排除したわけです。
あやふやなものでいっぱいになっている「真生涯」を手厳しく批判した、そういうことであると小島さんは言っております。

NHK大河ドラマ「晴天を衝け」は、渋沢栄一が主人公で、吉沢亮さんが演じました。
私も、「真生涯」になるまではとても面白く見ておりました。ところが、官をやめて実業家になってからの澁沢栄一さんはあまり面白いとは感じませんでした。
恐縮です。でも露伴と同じだったと思うと、なんだか嬉しい! 違うか。
幸田露伴は44歳ころから糖尿病が持病となります。
全身の血管が動脈硬化になるほど激しいものでしたが、頭脳の働きはいささかのボケも見せず、古い読書の記憶など、瞬時によみがえってきたそうです。
ある人が料亭をやろうと晩年の露伴に相談に行きました。
僕が若けりゃあ、のみに行ってやるんだが、ところでその料亭の名前は「つゆ亭」にしてはどうか。
露伴はそう言って、うしろから娘の幸田文さんに支えてもらって「つゆ亭」の看板の下字を書き始めました。
万葉仮名で二枚を書き上げました。
しばらく瞑目し、流れるように一首の和歌を書きました。
しらたまの何そと人のとひしきとき
つゆとこたへて消えなましものを
これはたしか新古今集にあったはずだ。
それを調べるのは君の仕事だ。
これを「つゆ亭」の名物料理「しら玉吸物」として売物にすると、何とか格好がつくと思うが。
瞬間にこの和歌を思い浮かべ、無造作にさらっと書き上げ、しかもその意味を伝えました。
記憶力と頭脳の鋭さ、その上、愛情のこまやかさ、これが床に臥したままの老境の露伴でした。

小島さんは言います。
人間には寿命というものがある。
これはどうしようもない。
せめてその前でわれわれが願い、努むべきことは、「頭脳のおとろえは微塵もなく、最後まで仕事をしつくして、この世を去った」大露伴の足もとに近づくことであろう。
新富町の銘菓「白玉饅頭」を露伴に届けたいと思いました。
いつか、幸田露伴のお墓に参り、白玉饅頭を捧げようかと。ご迷惑かしら。
