自己啓発本は、人の運命を変えるだけでなく、国の歴史をも変える
自己啓発本はアメリカ発祥ですが、世界でもう一つ自己啓発本が量産され、読まれている国があります。
そうです。我が日本です。
アメリカの植民地時代は、厳格なカルヴァン主義に基づくピューリタリズムが蔓延していた社会がありました。
なんのことやらわからないと思います。
ざっくり言えば、キリスト教の中でも最も厳格で、天地創造した神が、その後に起こる全てのことをあらかじめ決めているという鉄板の教義があったのです。
当時のアメリカ人は、人は土くれから作られた価値のないもので、神が定めた運命が決まっており、その運命は変えられない、ということを固く信じていたのです。
そんな中に、人には価値があり、自助努力を積み重ね正直に働けば、自らの運命を変えることができるという、ニューソート(新しい考え方)が入ってきました。
18世紀の半ばを過ぎる頃のことでした。
ニューソートの希望に満ちた教義に励まされるように、自分自身に自信を持ち、向上心を携え、猛然と仕事をし、人の役に立ち、そうした自らの行動によって自分の運命を切り開く。
そういう新しいタイプのアメリカ人が次々と登場しました。
フランクリンが代表的な存在で、その自叙伝が自己啓発本の始まりとなりました。
さてさて我が日本です。
日本にはキリスト教の厳格な教義はありませんでしたが、士農工商という制度がありました。
江戸時代の日本では、侍の家に生まれればずっと侍、農家に生まれたら代々ずっと農民ということで、社会的な流動性はありませんでした。
ところが明治時代になって、この士農工商という身分制度が撤廃されます。
何の職業を選んでもいい。
どこに住んでも良い。
誰と結婚してもいいという史上空前の規制緩和が図られます。
260年も続いた封建制が崩れ、急に立身出世が可能な世の中になりました。
アメリカのように宗教的な理由であれ、日本のように政治的な理由であれ、社会的流動性が閉ざされた時代が長く続いた後、何らかの理由でその禁制が解かれ、個々人の努力次第でいくらでも出世ができる世の中に急激に変わった時に、自己啓発思想及び自己啓発本が誕生する契機が出て来ます。
そういう条件が整っていたのが、世界中でアメリカと日本だったということです。
奇跡かもしれません。
明治時代の日本の自己啓発本のはじまりは、福沢諭吉の「学問のすすめ」です。
ざっくり言えば、福沢諭吉は、「人は誰も学問をすれば出世できる!」と言い切りました。
これにより、野心に燃えた若者たちが首都東京を目指して上京し、学問を積んで政界・産業界に飛び込んでいきました。
先進地ヨーロッパから遠く離れたアメリカと日本の急速な近代化は、自己啓発本によって成し遂げられたと言っても過言ではないのです。
自己啓発本の持つパワーは、それに感化された個々人の運命を変えるだけでなく、一国の歴史を変えるほどのものがあります。
恐るべし自己啓発本!!!
福沢諭吉の学問のすすめ以降の、人格主義に基づく自助努力系自己啓発本の系譜です。
内村鑑三 代表的日本人
新渡戸稲造 修養
幸田露伴 努力論
高橋是清 高橋是清自伝
松下幸之助 道をひらく
水野敬也 夢をかなえるゾウ
「アメリカは自己啓発本でできている」の作者の尾崎俊介先生は、パナソニックの創始者の松下幸之助の影響力が大きかったと言っております。
一方、こうも言っております。
自己啓発本のライターに対して、知的上流階級の人たちは総じて冷淡である。
大学・学会関係の人で、自己啓発本なり自己啓発系ライターのことについて詳しく知っている人に出会ったことはない。
結局のところ、自己啓発本というのは、少なくとも知的上流階級の人たちからは不当に下に見られがちな文学ジャンルである。
そしてそれは不幸なことー自己啓発本にとってではなく、知的上流階級の人たちにとってー実に不幸なことである。
かつて私は、メンタル不全で療養している人に、ビジネス書の自己啓発本を薦めたことがあります。
そうしたところ「文学部出身なので、そんな本は読まない!」と冷たい答えが返ってきました。
確かに、自己啓発本は文学部の人には、蛇蝎の如く嫌われています。
東京で小説教室に通っていたときも、小説家志望者にとってビジネス書や自己啓発本は眼中にないという感じでした。
自伝は、ある意味、自己啓発本だと思います。
もし、小説家として成功したら必ず書くのではないかと思います。
吉川英治の忘れ残りの記、松本清張の半生の記は勉強になります。
