保健所の災害査定で、東北財務局の担当官が新幹線に乗り遅れて2時間も待たされたことがある
昨年8月の日向灘の地震は大きかったですね。
私は、夏期休暇をとっており、椎葉村に帰るために自宅におりました。
本棚がバタン、バタン、バタンと3つ倒れてきたので、死ぬかと思いました。
本まみれになり、さらに上の階に住む人の洗濯機が倒れたらしく、水が私の住んでいるマンションの床の下にたまって、床の隙間から水が漏れてきました。
床が波打つように変形しましたが、ようやくその復旧工事も終わりました。
工事中は部屋にあったものは、すべて別の部屋に移動させたので、現在は引っ越してきたばかりのような感じです。

私が初めて本格的な地震に遭ったのは、青森県むつ保健所にいたときです。
大きな地震を、二度経験しました。
平成5年7月の奥尻島地震と、平成6年12月の三陸はるか沖地震です。
三陸はるか沖地震では、むつ保健所の浄化槽が壊れて、災害復旧の補助金の査定を受けたことがあります。
地震が起こって1週間後に余震があり、このときに崩れたようでした。
保健所には雪が積もっており、念のために周囲を回った職員が地面に穴が空いているのを発見しました。
この職員がいなかったら、おそらく見過ごしていた可能性が高かったです。
地震の災害復旧の対象に間に合いました。

さて、災害復旧の査定では、東北財務局と厚生省の担当官が査察に来ました。
県庁から福祉保健課の災害担当とむつ土木事務所の担当も来て、万全の体制で臨みました。
ところが、東北財務局の担当官が、あろうことか新幹線に乗り遅れて2時間も待たされました。
こらー!
厚生省の保健所担当官は、優しい人で、青森県の説明にうなずいており、とくに指摘もしませんでした。
一方、東北財務局の担当官は、「この経費は地震と直接関係はないので認めることはできません」と厳しいお方でした。
かなり査定をされました。しかし、理屈的には正しいことを言っていたので、こちらも受け入れることしかできませんでした。
その翌日のことです。
東北財務局の担当官が、「あれから考えたのですが、これは認めましょう」とまさかの発言がありました。
その理由を述べたのです。一同は驚きました。
一体何があったのか?
最後に「むつ保健所長からひとこと」と司会をしていた青森県福祉保健課の担当から降られました。
昨日とうって変わって晴天で、保健所の窓から白い釜伏山(かまぶせやま)がよく見えました。
「我々の心は、あの釜伏山の後ろに澄み渡る青空のような気持ちであります。ありがとうございました!」
そうお礼を述べました。
後で聞いたところによると、厚生省の担当官が、財務局の査定担当官に認めるように説得してくれたようです。
もしかすると、2時間も待たせたので、お詫びの気持ちもあったのかもしれません。

現在は、厚労省の災害査定は、厚生局が担当します。
もし、宮崎県の保健所が災害で被害を受けた場合は、九州厚生局から来ることになります。
日豊線で来るのかしら。
それでは、宮崎に着かないかも。
