二〇一一年四月二三日の朝Jヴィレッジに集合した六人の医師は、全員が産業医大卒だった
ハベレオ通信で
第一原発の中に入ったことを書きましたが、
二〇一一年四月二三日土曜日のことです。
その日のJヴィレッジには、
日本救急医学会からの派遣医の他に、
広島大学からも医師が来ておりました。
この週末に第一原発内での診療を希望した
新潟労災病院の若い外科医も来ておりました。
「ボランティアで来るとはいまどき立派な若者だ」と感心しました。
新潟労災の医師にいろいろと聞いてみたところ、産業医大出身でした。
「なぬ? 俺も産業医大だよ」
と答えたところ、
広島大学から来ていた医師が
「実は私も、産業医大出身です。医局は広島大学の整形外科に入っておりますが……」
とまさかの告白。
産業医大から派遣された学長補佐は、
産業医大の2期生でした。
東京電力の本社から産業医が同行しており、
産業医大の8期生でした。
Jヴィレッジに日本救急医学会から派遣
されていた専門医は、
私と同期で、5期生でした。
この日の朝九時前に、
Jヴィレッジに集まった医師六人は、
所属は違っていますが、
全員が産業医大出身者でした。
全国に八〇の医学部がある中で、
六人全員が同じ大学出身という確率は、
八〇分の一の六乗で、
二六二一億四四〇〇分の一の確率?
これが今も産業医大に伝わる
「Jヴィレッジの奇跡」
と言われている伝説です。

労働者の健康を守るためにつくられた
大学だったので、
原発作業員の健康を守るため
全国から集まったのでしょうか。
ハベレオ(蛾)が、夜の光に集まるように……。
たとえが悪いので、言い直します。
Have Leo(獅子の心を持った卒業生) が、大学で学んだ産業医学の実践をするために集まった。
ハベレオ通信の原点は、
Jヴィレッジにあります。

産業医大の学長の決断で、
第一原発には、
産業医大から医師が派遣されることに
なりました。
Jヴィレッジには、現地対策本部長の要請で
日本救急医学会から
引き続き救急専門医が来てくれていました。
フロントラインの産業医と
後方の救急医のコラボが
ここに実現することになりました。
五月以降は、福島も暑くなって、
タイベックスーツだと
熱中症の危険が高まりました。
一般の復旧作業の従事者が放射線で死ぬことは
まずありませんが、熱中症では死にます。
産業医大から派遣された医師は、
第一原発に東電をはじめ作業員を派遣している
企業の主任クラスを集めて協議会を組織し、
安全衛生教育を実施しました。
企業の産業医は、
会社の幹部を説得することも仕事の一つです。

第一原発では吉田所長が先頭に立って、
熱中症対策の指揮をとりました。
熱中症予防の標語を所内に掲示し、
毎日の作業前の点呼の実施、
大塚製薬のOS―1などの経口補水飲料の提供、
冷房の効いた休憩所の設置、
保冷剤の入ったベストの着用
などの予防策を行いました。

一番効果があったのが、作業時間の制限です。
真夏の頃は、六時から作業を開始し、
昼の十一時には仕事を打ち切って、
炎天下での作業はしませんでした。
このため
第一原発での復旧作業での熱中症の発生は、
ほとんどありませんでした。
Jヴィレッジにつめていた救急の先生から、
「産業医学はたいしたものだ。俺たちの仕事をなくしてしまった」
と言われました。
この先生は、後に北里大学の医学部長となり、
映画「TOKYO MER ~走る救急救命室」
の医療監修もされています。
予防は治療に勝ります。

