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木村拓哉さんの巨大なポスターを剥いで捨ててはいけない

環境庁の環境安全課に勤務していたときには、ダイオキシン、環境ホルモン、花粉症、電磁波、紫外線など環境由来のあらゆる健康問題を担当しました。

いや、させられました、と言った方が正確です。

なかでもダイオキシンなどの化学物質による健康影響は、社会的関心が高く、マスコミでもかなり取り上げられました。

ごみの焼却施設において塩素を含んだごみを低温で焼却するとダイオキシンが非意図的に生じるとして、ごみの焼却施設の周辺の土壌からダイオキシンが検出されたという報道がかなりなされておりました。

一番問題となったのが、母乳に含まれるダイオキシンでした。

母親の育児不安を助長すると、国会でも質問が相次ぎました。

この問題に終止符を打った医系技官がおります。

私の前任の母子保健課の女性の課長補佐さんのKさんです。

昭和40年代にPCBという化学物質が問題となり、母子保健課では、母乳に含まれるPCBを測定したことがあったのです。

K補佐は、この歴史を覚えておりました。

各都道府県に今も継続して実施していないか、問い合わせたところ、大阪府の衛生研究所が、PCBで問題となったときから継続して母乳を採取して調査するとともに、検体の母乳を保存していたのです。

こうした人の生体試料を継続的に調べて、保存しておくことを環境バイオロジカル・モニタリングといいます。

たとえば、ドイツでは、子どもの髪の毛や爪、抜けた歯などの生体試料を州ごとに集めて保存をしています。

環境にある種の化学物質が汚染されたなどの異変が有った際に、保存している生体試料を分析して、いつごろから増えてきたのか調べることができるのです。

K補佐は、大阪府が保存していた母乳を使って、ダイオキシン量の測定をしました。 

その結果は、年々ダイオキシン量が増えているという予想とは逆で、年々減少していることを示すものでした。

環境活動家がダイオキシン量が増えていると主張していましたが、母乳のデータではそういう結果を示していませんでした。

論より証拠です。

実証データがものをいいます。

水俣病では、保存されていたへその緒の水銀の濃度が有力な証拠となりました。

生体試料は有力な証拠になります。

K補佐との引き継ぎのときに、母乳のダイオキシンの国会質問が山のように来る、と脅されました。

しかし、母子保健課に着任してから2年間、母乳のダイオキシンについての質問は1問もなされませんでした。

米国は人の血漿を年代別に保存しております。

エイズが1980年代のはじめに米国のロサンゼルスに発生します。

ゲイの患者が原因不明の免疫不全となったことが発端でした。

重篤なカリニ肺炎にかかっており、このような患者はほとんど見られないものでした。

HIVウイルスが特定され、保存していた血漿を調べたところ、1960年代には米国に上陸していたことが判明しています。

バイオロジカル・モニタリングは、大変な手間がかかるものですが、重要な手法です。

K補佐は、私の2つ上の先輩で、冷酷な仕事の鬼でした。

前職の文部省にいたときには、会議をたくさん入れすぎて、高齢の委員長が急死したという噂を聞きました。

母子保健課の課長補佐の引き継ぎの際には、冷酷な声で、ダイオキシン以外にもいろいろと脅され、顔がひきつりました。

引き継ぎと言うよりは、ひきつりでした。

K補佐の席の後ろの壁には、巨大な木村拓哉さんのポスターが貼ってありました。

後任者の私が机に座って、後ろをみたら、ポスターがそのままありました。

どうやら忘れていたようでした。

さすがに、男の私はキムタクには興味はないので、ポスターを剥いで捨てようと思いました。

しかし、なんとなく不吉な予感がして、ぐるぐると巻いて保存をしていました。

紙も厚く、あまりにも豪華なポスターで、業界から手に入れた特別なもののような気がしたからです。

1週間後に、県の次長になられたK次長が挨拶に来ました。

母子保健課にも来られました。

ポスターがないのに気がついたようでした。

「聞きたいことがあるんだけーど。もしかしてえ、うしろにあったポスターは、処分しちゃった?」

今まで聞いたこともないような、甘い声でした。

「いえ、大事なものだと思い、このようにとっておきました」

私は、K次長にポスターを渡しました。

これ以後のK次長は、私には徹底的に優しく接してくれました。部長、局長と成られても同じでした。

他の後輩たちには、冷厳な顔ですが、私には笑顔でした。

教訓は、キムタクのポスターには気をつけろ、でしょうか。

畳1畳くらいある巨大なポスターでした。

東京生まれの東京育ちで、業界人に友だちが多いと聞きました。

宮崎県椎葉村生まれの椎葉育ちの私とは対極にある存在でしたが、ポスターのおかげでその後は円滑な意思疎通ができました。

K局長はもうこの世の人ではありません。

母乳のダイオキシン騒動に終止符をうったK局長の笑顔と恐怖の引き継ぎは、今も忘れておりません。

なお、写真は福山雅治さんですので、念のため申し添えます。

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