始めるのに遅すぎるということはない
小林市で開催された
宮崎県精神保健福祉大会に出席しました。
式典前のアトラクションでは、
小林秀峰高校の新体操部の演技がありました。
男子の新体操を生で見たのは初めてだったので、大変迫力がありました。
小林秀峰高校は、全国大会で何度も優勝をしている強豪校です。
近隣の複数の中学校に男子の新体操部が創設されて、中高一貫した体制が構築されたことが強みだと紹介されていました。
がんばれ、小林秀峰高校!

特別講演は、
宮崎県出身のパラテコンドー選手の原田涼平さんと車椅子バスケットボール選手の米衛春香さんが登場しました。
原田さんは、生まれながら左上肢の形成不全症という病気で、掌がありません。
手がないというハンデがありましたが、
子供のころからサッカーをやって、
高校は強豪校大分県の柳ヶ浦高校に入学しました。
部員が120名で、
うち試合に出られるのは11人だけ。
慣れない寮生活をしながら、
練習に打ち込みました。
両親からは、毎月サッカーシューズが送られて、これを励みに人一倍練習しました。
監督から貰った
「ハンデは努力で補える」
という言葉を座右の銘として、
3年の時にはレギュラーとなり、
大分県大会で優勝、全国大会にも出場しました。
高校卒業後は、
故郷の市役所に勤務しました。
パラリンピックを初めて見て、
パラテコンドーの選手となってパラリンピックに出るという夢を抱きます。
2年間務めた市役所をやめて、
福岡にある障がい者スポーツ選手雇用センターのシーズアスリートに所属しました。
ボールを蹴ることから
人を蹴ることになることを、
祖母は嫌ったそうですが、
今では応援に来てくれるそうです。

米衛さんは、生まれたときは特に障害はありませんでした。
母が高校のバスケ部のマネージャーをしていた影響で、バスケットを始めます。
高校では、バスケ部のキャプテンとなりました。
怪我でリハビリをする機会があったことから
理学療法士を目指そうと、
専門学校のパンフレットを集めました。
ところが授業料が高く、
4人兄弟姉妹の長女に親が学費を出せない
と思いました。
そこで学費を稼ぐために、
陸上自衛隊に入隊します。
特科に所属し、大砲をぶっぱなしました。

周りの隊員たちは皆いい人で、
このまま自衛隊にいてもいいかと思いましたが、初志貫徹で除隊します。
久留米のリハビリテーション学院に
4年間通って、
念願の理学療法士の国家資格も獲得しました。
子供たちにバスケを教えて、
理学療法士として勤務するという
夢のような生活を送っていました。
25歳のとき、
ある朝起きると左足が動かなくなっていました。
病院では、
原因不明で神経がマヒしていると言われました。
それから車椅子生活となり、
段差のつらさとか、
障がい者用のトイレを普通の人が使っている
姿などを目の当たりにします。
そのときに出会ったのが、
車椅子バスケットボールです。

バスケの経験者なので簡単だと思ったら、
全然試合に出られませんでした。
車椅子の扱いが全くだめだったのです。
そこで鬼のように練習を繰り返して、車椅子バスケットボールの大会の新人賞を取るまでなりました。
目標はパラリンピックに出場してメダルを取ること。
座右の銘は、
始めるのに遅すぎることはない。
It's never too late to start.
車椅子バスケットボール用の車椅子の値段は、
安くて40万円、
高いのは100万円するそうです。
テコンドーも車椅子バスケも初めて見ました。
本当に、元気をもらえた大会でした。
会場で販売されていた障がい者が造った皿を買いました。

「始めるのに遅すぎることはない」
はイギリスの政治家で首相も務めた
スタンリー・ボールドウィンの言葉だそうです。
「もう歳だから、あきらめよう」
と思うことが多い中で、
この言葉は新鮮で、衝撃的です。
たらちねジョンさんの漫画「海が走るエンドロール」(秋田書店)は、
夫と死別し
65歳を過ぎた主人公が
映画を撮ることを目指して、
美大に入学することから物語が始まります。
おすすめです。
まだまだ還暦プラス2。
これから、公衆衛生を極めたいと思います。
公衆衛生を勉強するのに
遅すぎることはありません。もちろん、早すぎることも。
どんな人でも、
しかるべきときに、しかるべき場所にいれば、
公衆衛生の知識が役に立ちます。
