スサノオの「八雲立つ」の歌が、古事記に残る五・七・五・七・七の歌である
松本隆さんの「書きかけの…言葉の岸辺で」(朝日新聞出版)を読みました。
松本隆さんといえば、作詞家として超有名で、作曲家の筒美京平さんと組めば、ヒット間違いなしという存在でした。
松田聖子さんの「赤いスイートピー」を聴くと、北九州市で過ごした予備校時代が秒で甦ります。
もともととは作詞家ではなく、はっぴいえんどというグループのドラマ―でした。
作詞家として最初に手掛けたのが、チューリップの「夏色の思い出」です。
てっきり財津和夫さんが作詞したとばかり思っておりました。

本のはじまりに、シューベルトが最晩年に作った歌曲集「白鳥の歌」を日本語の歌詞にするという仕事をする話がありました。
わずか31歳で、ポストにも恵まれず、女性にももてないまま生涯を終えたシューベルトの、歌に見え隠れする少年性を描いたそうです。
恐縮です。シューベルトがそんなに若くして亡くなっていたとは知りませんでした。
松本さんは、42歳で亡くなった若山牧水の歌を紹介しています。
白鳥は哀しからずや 空の青海のあをにも 染まらずただよふ
漂っているのはカモメだろうか、と書いています。
また、KINKI Kidsの「スワンソング」には、この短歌への敬意をこめた一節があるそうです。
わが郷土宮崎県の歌人の若山牧水のことを書いておられたので、好感度アップで、作詞家松本隆さんの世界を堪能することができました。

ハベレオ通信は、公衆衛生のブログのはずですが、作詞家も多く取り上げております。
なかにし礼さんと阿久悠さんは常連です。
松本隆さんが作詞家になってからのライバルは、阿久悠さんだったそうです。
頭の上にどんとそびえる城を、どう攻略してひっくり返そうかと、いつも考えていました。
ライバルという存在は、いた方がいいと、松本さんは断言しています。
なにごとも寡占状態になると長続きしないし、活性化もしない、とおっしゃっています。
それを強く感じたのは、松田聖子さんの作品を手がけていたころだそうです。
中森明菜いてくれてよかった、と言っております。

これは、私も実感しているところです。
私は、聖子ファンでした。
特に聖子カットといわれたおにぎり風の髪型に憧れました。
その前は、岩崎宏美さんの髪型が好きでした。
聖子対明菜の歌合戦は、今考えると凄いものでした。
南北朝の争いに匹敵するかも。
北朝が明菜、南朝が聖子でしょうか。
異論はあるかと思いますが、「花」を歌う聖子は南朝がふさわしいと思いました。
チェリーブラッサムは、吉野の桜を歌った唄です。違うか。

松本さんは、太田裕美さんの「木綿のハンカチーフ」の作詞をしています。
都会に行けば夢がかなうという1970年代の風潮へのアンチテーゼだったそうです。
松本さんは、そもそも東京で生まれ育ったので、「上京」という感覚がわからなかったそうです。
我々「地方人」を敵に回す台詞です。
チューリップの「心の旅」を聴けよ!と地方人は激怒するかも。あれこそが上京ソングです。
しかし、松本さんは、あるアイドルのマネージャーの話を聞かされます。
上京したての学生時代に友人とジュークボックスで「木綿のハンカチーフ」を聴いて、機械の前で男二人、しゃがんで泣いたとのこと。
そんな曲を提供できたことが、ぼくの幸せだと言っております。
これで全国の地方人は鎮まりました。
松本さんがつくった歌詞には、感動しまくりです。
アグネス・チャンさんの「ポケットいっぱいの秘密」、寺尾聡さんの「ルビーの指輪」、南佳孝さんの「スローなブギにしてくれ」、松田聖子さんの「赤いスイートピー」、大瀧詠一さんの「カナリア諸島にて」、KinKi Kidsの「硝子の少年」、森進一さんの「冬のリヴィエラ」、斉藤由貴さんの「卒業」……。
まだまだたくさんあります。

一番感動したのが、松本さんが古事記に登場するスサノオを書いているくだりです。
詩の神さまは、スサノオノミコトあたりではあるまいかと言っておられます。
日本で最初の和歌をつくったのは、スサノオだとされているそうです。
八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を
古事記に残る、五・七・五・七・七の歌だそうです。
語韻がおもしろく、リフレインみたいなところもちょっと歌詞っぽい。
スサノオは尊敬すべき神様である、とおっしゃっております。
NHK朝ドラ「はけばけ」では、古事記からとって八雲と名付けたということでしたが、スサノオの作であることは省略されておりました。
なるほど、スサオノこそが作詞家の始まり。
勉強させていただきました!
