東日本大震災の福島と新型コロナウイルス感染症の東京で長渕剛さんの歌を聴きたかったという願いが、宮崎で実現した
宮崎市民文化ホールで、長渕剛さんのコンサートを見ました。
68歳とは思えぬ鍛え抜いた肉体から発せられた強烈なメッセージのあるコンサートでした。
集まった観客も年齢不詳で、いわば「全世代型の社会保障系」の人々でした。
一言でいえば、公衆衛生のパワーあふれる2時間強で、魂が震えました。
鹿児島出身の長渕さんは、父と母と姉の4人で鉄道で行った家族旅行が、宮崎だったそうです。
生涯で、最初で最後の家族旅行でした。

阪神淡路大震災の後に自分で何ができるか考えて、多額の寄付をしたら、いろんな人から叩かれたそうです。
宮崎の口蹄疫の後に自分に何ができるかを考えて、気がついたら宮崎の牛舎で歌っていました。
東日本大震災の後に自分に何ができるかを考えて、気がついたら、災害派遣の自衛隊員の前で歌っていました。
テレビのワイドショーで、「自衛隊員万歳!」と言ったことで叩かれたそうです。
新型コロナウイルス感染症のときに自分に何ができるか考えて、気がついたら、国際医療研究センターの屋上で歌ってました。
このときは、私は、NHKのテレビで、長渕さんが「しゃくなげ色の空」を歌うのを見ました。
国際医療研究センターは、ごく初期から新型コロナウイルス感染症の患者を積極的に受け入れをして、PCR検査や入院治療を行っていました。
国際医療研究センターの國土理事長も屋上にいました。
テレビで一瞬、映ったので「あ、先生だ」と気がつきました。

その頃、私は防衛省に勤務していました。
第一波が収まったときに、ブルーインパルスが東京の空に来たことがあります。
ブルーインパルスは、病院の医療従事者へ感謝するために飛来しました。
最大の貢献をした国際医療研究センターと自衛隊中央病院等の医療従事者へ感謝するために、飛行コースが組まれていました。
私は、市ヶ谷の防衛省の屋上で、ブルーインパルスを見ました。

東日本大震災のときは、私は東京電力福島第一原発の現地対策本部の医療班に派遣されており、朝のニュースで長渕さんが自衛隊員の前で歌をうたったことを知り、福島にも来てくれたらなあと日誌に書いていたので、覚えております。
国際医療研究センターの屋上で長渕さんが歌ったときも、自衛隊中央病院でやってくれたらなあと思いました。
東日本大震災の福島や、新型コロナウイルス感染症の東京で長渕さんの歌を聴きたかったという願いが、宮崎で実現したのは感無量でした。

私が一番好きな曲は、Hold your last chance です。
以前のハベレオ通信にも書いたことがありますが、昔NHKのドラマで藤子不二雄さんの「まんが道」がドラマ化されたときの主題歌です。
歌詞の二番を聴いて、社会保障の歌だと感じました。
誰かが人生(みち)で つまずいたら
さしのべる 思いやりが欲しい
人は皆淋しさを 背負って生きていく
鹿児島県の指宿スカイラインに音響道路があり、そこを走ると、長渕さんの「乾杯」の曲が流れます。
アンコールの最後がこの歌で、みんなで合唱をしました。
会場では、終わってもしばらく「TSUYOSHIコール」がこだましておりました。
「死ぬまで歌をつくり続ける」と言っていた長渕さんと、公衆衛生と社会保障に、乾杯!
