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東條英機が陸軍中将樋口季一郎を北部軍指令官に任命したことが、北海道を救った

MRTラジオのサンデーラジオ大学で、陸軍中将樋口季一郎のお孫さんの明治学院大学名誉教授が出ていたのを聞いたことがあります。

樋口中将は、二つの重大な決断をしている軍人です。

満州のハルピン特務機関長のとき、人種差別をせずにユダヤ人を受け入れるという判断をして、多くのユダヤ人を救いました。

終戦時は北部軍の司令官で、ソ連軍の千島列島侵入に際し、自衛のための戦闘を行って、北海道を守りました。

戦争が終わった後の10年間は、宮崎県の小林市に住んでいました。

本人は兵庫県淡路島出身で、妻は宮崎県都城市の出身でした。

妻の実家の親戚の子どもが小さかったので、大きくなるまで育てたそうです。

樋口中将は、淡路島の廻船問屋に生まれています。

もともと裕福な家でしたが、船が蒸気船に変わってからは経営が傾いて、両親が離婚したりして苦労をしました。

父の弟の叔父が支援をし、陸軍士官学校に入ることができました。

東京外語専門学校のロシア語科にも通っています。

語学が好きで、ロシア語、ドイツ語、フランス語ができたそうです。

死ぬまで外国語の辞書を見ていました。

また人に会うのが好きで、話も面白かったそうです。

なによりも芸事が好きでした。実は、淡路島は人形浄瑠璃が盛んな島だったのです。

ヨーロッパで駐在武官として勤務したときは、バレエを熱心に見たそうです。

見るだけではなく、大変人気のあるプロのバレエの監督から習っていました。

実際に、女性を持ち上げる演技もやって人気を博しています。

このバレエ芸で、いろんなところから招待されました。

そこで秘密情報を収集したそうです。

樋口がパルピン特務機関長のときに、ドイツのヒットラーのユダヤ人の人種差別政策にはのらないように、上司の関東軍参謀長の東条英機を説得しています。

日本はヒトラーの迫害からユダヤ難民を受け入れた唯一の国です。ユダヤ人たちは、アメリカに渡っています。

ドイツでは、日本人も人種差別をされていました。

ドイツでは、日本人の下宿先はなかなか見つかりませんでしたが、ユダヤ人が助けてくれたのです。

このように日本人は、ドイツ在住のユダヤ人からの恩を受けていました。

日露戦争では、ユダヤ人が戦争資金の支援をしたことで、明治天皇は全米ユダヤ委員会長に「この恩は決して忘れない」と述べていました。

ドイツ政府からの抗議を受けて、東條英機参謀長から出頭命令を受けた樋口は、ドイツのユダヤ人追放措置は人道に背くことであると、説明しました。

上司に怒られないように進言できるのは、樋口の特技だったのです。

東條英機は、樋口を評価しており、昭和17年8月に北海道の北部軍の指令官に任命しています。 

この人事は東條の人事でした。

昭和20年の終戦の際に、降伏して8月18日16時までに武装解除する命令が出ていましたが、「自衛のためにはこの限りにあらず」という但し書きがありました。

ソ連軍が昭和20年8月17日の深夜に占守島を攻撃してきたのです。

「国籍不明の軍隊が占守島の竹田浜に上陸を試みている」という報告が札幌の樋口司令官の元に届きました。

樋口司令官は、占守島の各兵団に対して出撃を命令しました。

樋口中将は、昭和20年3月に、「ソ連の特務機関から得た情報により、スターリンは満州、南樺太、千島列島を確実に狙っている」と、大本営や関東軍の幹部将校に警告をしていましたが、誰も聴く耳をもちませんでした。

当時、日本とソ連の間には中立条約があったので、「そんなことはない」と歯牙にもかけられなかったのです。

ソ連は約束を守らない。スターリンは日露戦争の恨みを持っている。動機はいくらでもある

果たして、昭和20年8月17日午後5時に、カムチャッカ島ペトロパブロフスク軍港から日本最北端の占守島の占領を目指して、ソ連の部隊が出撃したのです。

8800名の兵士と大量の兵器と軍糧を積んだ輸送船14隻、さらに軍艦54隻が参加しました。

占守島の日本軍は、樋口司令官の命令で、水際殲滅作戦を展開しました。

銃、大砲、戦闘機、戦車で徹底的に抵抗した占守島の日本軍は、勝利をおさめました。

日本の死傷者は650名、ソ連側は3300名でした。

8月18日の午後4時、大本営命令に従って樋口中将は、戦闘停止命令を出し、武装解除に応じたのです。

マッカーサーに、連合軍とおぼしき軍から攻撃を受けているが自衛のために反撃しているという電報を送っています。

マッカーサーは、APにこの日本の言い分を伝えています。

怪しい集団が日本を攻撃してきたというニュースは世界に打電されたのです。

スターリンもこの報道を聞いています。

樋口中将は、千島に相当の兵力を置いていたので、対抗することができました。

武器弾薬も豊富でした。

樋口中将の判断でソ連軍に大きな損害を与えたことで、スターリンによる北海道占領計画を阻止することができました。

スターリンは、米国のトルーマン大統領に書簡を送ります。

日本は日露戦争でアジアにおけるソ連領を占領した。

もしソ連が日本領土の一部でも手に入れられなければ我々にとっても醜い屈辱なのだ。

だからこそ北海道の半分をソ連は占領する。

スターリンは、留萌と釧路を結ぶラインの東北側をソ連が占領することを認めるように言います。

トルーマン大統領は、この要求を拒否します。

北海道にアメリカ軍を進駐させて、ソ連の野望を挫きました。

スターリンは、択捉島にソ連軍を上陸、偵察させアメリカ軍がいないことを確認しました。

8月28日に強引に択捉島を占領します。

9月1日に色丹島、2日に国後島、歯舞群島を占領しました。

戦艦ミズーリでの連合国との降伏文書の調印は、昭和20年9月2日のことです。

ソ連代表は、デレヴィヤンコ中将でした。

調印式の当日に占領されたという歴史は、決して忘れてはいけません。

2月7日は北方領土の日です。

デレヴィヤンコ中将はウクライナ出身で、ウクライナの英雄となりました。

現在、ロシアと戦争中のウクライナのことを思うと複雑な心境になります。

北海道に進駐した米軍のキャッスル中佐と樋口は、すぐ仲良くなりました。キャッスル中佐は樋口を尊敬していました。

イギリス軍からも樋口は評判が良かったそうです。その原因は、英国の参謀総長が、1920年に樋口と一緒に働いたことのある将軍だったことが影響していました。

なによりもユダヤ人たちに慕われました。

ソ連は、極東軍事裁判でこのように主張しています。

日本が敗戦後も抵抗し続け、サハリン、クリル諸島の戦いでソ連の兵士に対して残虐に殺害するよう軍事行動を支持したので、A級戦犯に該当する

ハルピン特務機関に勤務している間にソ連の国家機密を盗むための諜報活動を行ったスパイ罪の可能性などの余罪を追及すべきである

スターリンは、占守島の戦いで北海道侵略が挫折したため樋口季一郎に恨みを持っており、GHQを通じて、樋口のソ連への引き渡しのためにアメリカの協力を求めています。

ソ連国内の裁判所でスパイ罪として裁判にかけようとしたのです。

スターリンから何度も樋口を引き渡すように要求する電報について、マッカーサー元帥は、「樋口が指導したのは、自衛戦争である。樋口が助けたユダヤ人はアメリカ社会に貢献している」と、引き渡しを拒否しました。

アメリカ本国の国防総省もこの要求を拒否しました。

その背景には、アメリカの世界ユダヤ協会がありました。

樋口に命を救われてアメリカに渡ったユダヤ人たちが、樋口中将をかばったのです。

戦前の陸軍は、硬直的な教育が行われて、石頭のような軍人しかいなかったような記述がなされることが多いのですが、樋口中将のような人材も出ています。

結局は「人」のような気がします。

しかるときに、しかる場所にいる人が歴史を作るのだと感じました。

ある歴史の舞台に、ある人が登場するのは、偶然のようですが、巡り合あう必然性があるように思いました。

「恩」と「自衛」は大事だと思いました。

宮崎に帰ってきて、ラジオを聴いたお蔭で、東京にいたときより賢くなった気がしています。

樋口中将の話は、この本がお勧めです。

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