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歌手は声が命であり、毎日の体調管理や栄養・運動・睡眠などの生活習慣をどう整えるかがポイントである

さだまさしさんのコンサートに行って参りました。

グレープ時代の吉田正美さんも登場して、なかなか素敵なコンサートでした。

グレープは1972年に結成され、解散したのは1976年です。

その後はさだまさしさんは、ソロで活動をしました。

吉田さんはさだまさしさんの会社の社長をされているそうです。

グレープのデビュー曲の「雪の朝」、「縁切寺」、「精霊流し」などを聴かせてもらいました。

「雪の朝」のレコードは3500枚しか売れなかったそうです。

そのうち2000枚は長崎市で売れたそうで、長崎ではヒット曲だったとのこと。

「関白宣言」を初めて披露したのは、宮崎市でのコンサートだったそうです。

大分市で詩が完成し、宮崎で初めてみんなの前でうたったところ、「売れるー!」と観客席から声がかかったと言っていました。

3歳の頃からバイオリンを弾いて、その後70年間音楽を続けています。

中学時代に上京してバイオリンで東京芸術大学に入学するための訓練を受けました。

東京芸大に受かる勇気がなくバイオリン奏者としての夢やぶれ、國學院大學に進学して普通の学生となりました。

しかし音楽から離れることはできなかったそうです。

クラシックばかりやってきたので、歌謡曲の歌ぐらいできると曲をつくりました。

吉田正美さんとグレープを結成して、デビューしました。

今ではバイオリン奏者で日本で一番稼いだ人間になったと言っておりました。

バイオリン奏者で二番目は、葉加瀬太郎さんだそうです。

さだまさしさんの強みは、以下の三点かと思いました。

①バイオリンの英才教育を受けており、クラシック音楽の基礎ができている。

②「吟遊詩人」と言われるほどの、人を感動させる詩をつくることができる。

③お笑い芸人並みのトーク力がある。


さだまさしさんに「風に立つライオン」という歌があります。

宮崎県立日南病院長をされていた柴田紘一郎先生をモデルにした歌です。

大沢たかおさんの主演で映画化されており、私も見たのですが、まさか宮崎の先生だったとは知りませんでした。

今年の2月に亡くなられたそうです。

残念ながら「風に立つライオン」はうたわれませんでしたが、家でなんども聴きました。

もし、めざしていた東京芸術大学に合格していたらどうなったのだろう、と考えてみました。

おそらくバイオリン奏者にはなっていたと思いますが、歌手になったかどうか。

これまでに出したアルバムは50枚にもなるそうです。

それを思うと、挫折してよかった。

挫折に感謝です。(人の人生ですが……)

人の一生は、わからないものです。

最期に「いい人生だった」と言えるような生き方をしていきましょう。

さだまさしさんが鹿児島のコンサートで2曲目で声が出なくなって中止となり、11月に延期になったということを知ってびっくりしました。

宮崎市でのコンサートでは、2時間以上ずっと歌ってトークをしていて、ダンスでも素敵なステップを踏んでおられましたが……。

声は歌手の命。

さだまさしさんの回復を祈念しております。

昔、厚労省の健康局のがん対策・健康増進課長をしていたときに、歌手の平原綾香さんに会ったことがあります。

厚労省の健康大使として大臣から辞令交付をしていただきました。

このときには、プロスキーヤーの三浦雄一郎さん、女子マラソンの有森裕子さんの3人に健康大使となっていただきました。

平原さんの話を聞いたことがあります。

ジュピターが大ヒットしました。

武田鉄矢さんが熱血教師役で活躍する伝説の番組「3年B組金八先生」の中でも挿入歌として使われました。

近くは、TBSの日曜ドラマ「陸王」でも使われています。

とにかく勇気が出る曲です。

平原さんは、口を開けて寝ないそうです。

口を閉じて絆創膏を貼って、開けないようにして眠るとのこと。

口を開けて寝ると、口腔内が乾燥して喉を痛めることがあるそうです。

これだけは徹底して行っている、とおっしゃっていました。

こうして見ると、たばこはダメ絶対ですね。

昔は、たばこにギターが似合うシンガーソングライターがたくさんいました。

代表的なのは、よしだたくろうさんで、一番好きな歌は、「外は白い雪の夜」です。

この歌は、大学の同級生がよくカラオケで歌っておりました。

同級生は、放射線科のドクターでしたが、ある朝、病院に来ていないと奥様に電話があったそうです。

何度電話しても出なかったそうです。

捜索した結果、病院に通じる道のコンビニの駐車場に停めてあった車の中から見つかりました。

息をしていたので、命は助かりましたが、病院でずっと入院となりました。

脳卒中でした。

奥様がずっと付き添われていたのですが、しゃべることもなく亡くなりました。

北九州市で葬儀が行われたのですが、私は行けずに、弔電をうちました。

葬儀では、私の弔電が読まれたと、大学の同級生が言ってました。

しまった。

それならもっといいことを書けば良かった、と後悔しました。

いつも試験の追試を受けることになり、一夜漬けの勉強を私の部屋でやりました。

お互い寝たら起こす、という約束で朝まで寝ないで頭に詰め込み、なんとかギリギリで合格しました。

そういうエピソードを書いてしまいました。

現在のよしだたくろうさんは、歌手としての活動はやめています。

やはり健康は大事ですね。

特に歌手は、声が命ですので、毎日の体調管理や栄養、運動などの生活習慣をどう整えるかがポイントです。

宮崎大学公衆衛生学の黒田教授のポスター

DMATの近藤先生が、災害医療コーディネート研修の講師で宮崎に来られました。

映画フロントラインの窪塚さんのモデルになった先生で、映画のパンフレットにサインをしていただきました。

しかし、その夜にニシタチで飲み歩き、予想どおりに被害者が続出してしまいました。

私は早めに脱出できたのですが、記憶をなくして、自宅の床の上に寝ておりました。

風呂の中でなくてよかった。

これからは、歌手のように自分の体をいたわっていきたいと強く思いました。

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