聲なきに聞き、形なきに視る
椎葉村出身で宮崎県警の刑事部長をされた方が、亡くなりました。
宮崎市であった葬儀・告別式に出席しました。
大勢の方が集まっていました。
長女さんが最後にお礼の言葉を述べました。
名前のとおり椎葉村出身の父は、ぽつんと一軒家のようなところで育ちました。
本当は、医者になりたかったのですが、高校三年生のときに交通事故で怪我をして、医学部は諦めて、警察官の道を選んだそうです。
勉強熱心で、最愛の妻に最初にプレゼントをしたのが、百科事典だったとのこと。
これには笑いが起きました。
妻の次に好きだったのが、リップクリームだったそうです。
「これから冬が来て、唇が乾燥するので、リップクリームを塗る機会が多いと思いますが、そのときには父のことを思い出して下さい」とおっしゃっておられました。
長女さんには一度、会ったことがありました。
お父上が宮崎県警から警察庁に出向して勤務をされたときに、宿舎が同じでした。
私は何度か部屋に行って焼酎を飲みましたが、そのときにご両親のところに来ていたことがありました。

ご両親が最初に引っ越しの挨拶をしたときに、我が家の表札を見て驚いたそうです。
はいや、もう「椎葉」という表札がかかっとる!
東京は準備が早い、と勘違いしたとのこと。
よく見ると、部屋の番号が違っていたので、気がついたそうです。
東京に椎葉姓の人がいるのか?、と驚いたそうです。
私の子どもが出てきて、「あんたたちは椎葉村の出身ね?」と聞いたら、「父が椎葉村の出身です」と答えたとのこと。
それからよく、部屋で飲みました。

警察の業務をいろいろとお伺いしました。
話を聞いて、公衆衛生に似ているなと、感じました。
特に、警備は予防です。また防犯という言葉は、犯罪を予防すること。
予防が大事だと思いました。
天皇陛下が植樹祭に宮崎に来られたときの、警備の担当課長でした。
所轄の西都警察署の署員らと必死の思いで、警備をされたと警察学校の同期の方が話していました。

我が国の警察は、フランスの警察制度を参考にしました。
フランスでパリのポリスを視察した鹿児島県出身の川路利良は、日本に帰ってきて警察を創設します。
初代の大警視となった川路は、警察主眼という本を著しました。
「聲なきに聞き、形なきに視る」という言葉が有名です。
これは、主に捜査や警察官としての心構えを説いたもので、次のような意味合いがあります。
・現象や表面的な事実だけでなく、その奥に隠された真実を見抜くことの重要性
・直接的な証言や明確な手がかり(声や形)がない場合でも、周囲の状況や僅かな兆候から物事の本質や真実を察知しようとする姿勢
・まだ表面化していない問題や、被害者が声に出せない苦悩、見えない不正などを、洞察力と注意力をもって見つけ出すこと。
この言葉は、警察の捜査における極意として、また、組織や社会のリーダーが持つべき深い洞察力の必要性を示すものとして、現代にも通じる教訓とされています。

告別式の会場には、時世の句が展示されていました。
霹靂の 癌の再来 立ち向かう
逝かずに見たい 孫の行く末
陽が落ちる 残れる日々は 如何ほどか
抗癌剤で 余命あらがう
時悟る 折れる心に 鞭を打つ
祈り願うは 妻の息災
時来る 癌の苦しみ 堪えに耐え
看取りの妻を 解き放す時
いざ逝かん 我の魂 還りたり
里の山河に 抱かれ眠る
宮崎に帰ってきたときに、電話がありました。
「医者から酒を止められているので、もう飲めんとよ」と豪快におっしゃっていました。
サムライのような方でした。
合掌。
