「ラムズフェルドの人生訓」には、日本発のイノベーションが紹介されている
日本人は西洋の真似ばかりして、
本当の意味でのイノベーションを起こしていない、
と言う「知識人」がいます。
こういう人は、カラオケをどう思っているのでしょう?
日本人が開発した「KARAOKE」が、世界に与えたインパクトは相当なものです
最初は、「外国人はカラオケをしない、日本人と感覚が違う」とかの評論しておりましたが、なにがなにが、高千穂のバーでは外国人がカラオケを歌いまくっており、相当うるさかったです。
ソニーが開発した、ウオークマンは、
まさにイノベーションでした。
音楽を外に持ち出して、
イヤホンで聴くということは、画期的でした。
スピーカーないのは衝撃的でした。
浮世絵が、世界の美術に与えた影響は誰もが認めているところです。
ゴッホは、日本の浮世絵に憧れ、浮世絵を模写して、日本に行きたいと思い詰めておりましたが、とうとう行けずに亡くなりました。
私が残念に思うのは、長崎の出島にあるオランダ商館の職員に、画家が来なかったことです。
オランダ商館に来た医師には、すごい人がいました。
医師ケンペルは、日本を広く世界に紹介しました。
シーボルトは、日本人が作成した日本地図を持ち出すとともに、樺太は島であることを世界に知らしめました。
また、子宮内の胎児が上下逆さまで頭が下に位置するという日本発のエビデンスを世界に紹介しました。
樺太と沿海州の間にある間宮海峡という名前は、ロシア以外の国は使っています。
このオランダ商館に、ゴッホが派遣されていたら、世界と日本の美術の歴史が変わっていたかもしれません。
オランダ商館からは、ベルリン青などの染料が入ってきて、浮世絵に使われていたのに。

米国の国防長官を2度務めたラムズフェルドは、日本発のイノベーションを紹介しています。
1937年、第二次上海事変が起こり、日本陸軍は上陸作戦を展開します。
アメリカの海兵隊のクルラック中尉は、この日本軍の作戦を注視しました。
約20年前、第一次世界大戦で連合国がトルコのガリポリに上陸作戦を敢行し、多くの死者を出したことから、上陸作戦は自殺行為だと考えられていました。
英国のチャーチルは、この作戦が失敗したので、
海軍大臣から失脚します。
日本陸軍は、
兵員や車両が上陸できるように
可倒式傾斜路を持つ船を作っていました。
大発動艇(通称「大発」)です。
クルラック中尉は、
ひそかに大発の写真を撮りました。
「日本の上陸艇は素晴らしい。似たものを造るべき」
とワシントンに打電しました。
クルラック中尉の文書は、
陸軍省の奥深くにしまわれて、
日の目を見ませんでした。
クルラック中尉はあきらめませんでした。
帰国後、
ニューオーリンズにいる
一風変わった船大工に頼んで、
日本のものとよく似た
可倒式傾斜路を持つ船を作り上げます。
これは「ヒギンズボート」と呼ばれました。
そのような中、
アメリカ海兵隊が
上陸用舟艇が必要だと判断して、
ヒギンズボートが採用されたのです。
第二次世界大戦中で、
もっとも活躍した軍用船となりました。
史上最大の作戦ノルマンジー上陸作戦から
太平洋の諸島の攻撃などで、
大勢の連合軍兵士と大量の装備を運び、
勝利をもたらすことになります。
こうした例はたくさんあります。
新型コロナウイルス感染症で活躍した
パルスオキシメーターは、日本人の発明です。

日本人は真似しかできない
と言っている人は、
歴史を勉強していない無知か、
意図的に日本をおとしめたい悪党
のどちらかだと思います。
要は、報道などでまことしやかに言われていることが、本当なのか、いろいろと調べてみることが大事です。
その意味でも、ラムズフェルドの人生訓は、
おすすめです。
改めて、ハベレオ通信で紹介したいと思います。
今回は予告編で、近日公開します。
乞うご期待!
