2026年10月24日夜11時30分に熊本市を「ばけばけの街」にしてはいけない
11月の連休に、熊本市に行きました。
神風連の乱の歴史をたどってみました。
熊本大学がある黒髪に、桜山神社があります。
ここには、神風連の志士123名の墓があります。

明治9(1876)年10月24日11時30分に、藤崎神宮に集結した敬神党の志士(神風連)170余名が反乱を起こしました。
各隊に別れて、熊本鎮台司令官の種田政明、参謀、連隊長などの自宅と、熊本県令(知事)の安岡良亮ら要人を襲撃します。
昭和の青年将校がおこした226事件とそっくりです。
連隊長の自宅にあった連隊旗を奪った志士たちは、その後、全員で熊本城にある熊本鎮台の砲兵営、歩兵営を襲いました。
神風連の志士たちは、鎧甲冑をまとい、刀と槍だけで、官軍兵士に斬り込みました。
熊本鎮台の兵士の多くは、招集された「平民」です。
いきなり「武士」が斬り込んできたので、応戦ができませんでした。
鉄砲の弾は別の保管場所にあり、使用できませんでした。
銃剣で戦いますが、多くは刀剣で斬られます。
砲兵舎は占拠されました。
歩兵舎も襲撃されますが、合流した将校の指揮のもとで弾薬を確保し、鉄砲で反撃することができました。
これで形勢が逆転し、神風連の志士たちは、負傷して退却をしました。
奪われた血染めの歩兵第13連隊の連隊旗も取り返しました。
神風連の志士たちは逃亡します。
舟で島原に渡ろうとしましたが、厳戒態勢がとられており、舟を出すことは禁止されていました。
自宅に帰ってきたところを捕縛されたり、周辺の山に逃げてその場で自決をすることが相次ぎました。
裁判で死刑となった志士もいます。
桜山神社には、こうして亡くなった志士たちの墓があります。
私が行ったときは、11月2日で、きれいに清掃がなされていました。
ライトアップの設備もありました。
「神風連蹶起149年(志の行方) 令和7年11月3日14時 櫻山神社 秋季大祭」というポスターが飾ってありました。

神風連の乱の「被害者」の墓も、同じ日に見に行きました。
熊本駅の近くの安岡山の中腹に官軍墓地がありました。
死亡した116名が祀られていましたが、墓石は壊れたものが多く、無残なものでした。
墓地は荒れ果てておりました。
草ぼうぼうで、墓石が見えなくなっていました。
誰も来た形跡がありません。
桜山神社とは真逆です。
はるばる宮崎県の椎葉村から来て、あまりの格差に立ちすくみました。

司令官の種田少将ら幹部3人の墓は大きいので、さすがに草には隠れていませんでした。
隣にある安岡県令の墓にお花があったのが、唯一の救いでした。

昭和55(1980)年に熊本市が整備して、熊本市指定史跡になっています。
「軍官民戦死者追悼碑」があり、昭和51(1976)年に建てられたとありました。

1976年は、神風連の乱からちょうど100年の節目の年です。
このときに熊本市は、碑を建立しています。
来年は150年の節目の年です。
果たして、熊本市は、安岡山の神風連の乱の被害者の墓地に何かするのでしょうか?
兵士の墓石には住所が刻まれていました。
その多くは肥後国の人です。つまり、加害者も被害者も熊本県人。

来年の150年の節目に、被害者の墓がそのままの状態だったら、116人の幽霊が山から降りてきますよ。
熊本市は、NHK朝ドラ「ばけばけ」の舞台のひとつ。
山から幽霊が降りて来て、「ばけばけの街」にならないように、清掃と供養をお願いします。
安岡山の霊界の窓が開いて、熊本市街をリアルなハロウィン状態にさせてはなりません。
予防が大事です。
墓は、公衆衛生です。
