「歌は作詞家の元を離れるとひとりでに育っていく」と武田鉄矢さんは言っている
MRTラジオの「武田鉄矢の朝の三枚おろし」を聞いて、いい話だと思いました。
永六輔さんは、宮崎ゆかりの作詞家です。
宮崎駅発着のときに流れる歌「フェニックス・ハネムーン」の作詞をされています。
永六輔さんの代表曲はたくさんあります。
出生数が70万人を切るとは予想すらしなかったときの「こんにちは赤ちゃん」
旅番組の主題歌になった「遠くへ行きたい」
日航機事故で亡くなった坂本九さんの「上を向いて歩こう」
いろいろあります。

さて、坂本九さんが歌った「上を向いて歩こう」ですが、大ヒットしました。
ところが、永六輔さんは、気に入っていなかったそうです。
坂本さんの明るい歌い方が、好きではなかった。
もともと、「上を向いて歩こう」の歌詞は、60年安保闘争に敗北した若者におくる「鎮魂歌」として書かれたものでした。
それなのに、坂本さんは、聴いた人みんなが元気になるような歌い方をしていました。
永六輔さんは、「これは違う」とずっと全否定していました。
しかし、作詞者の意図とはまったく外れて、「上を向いて歩こう」は、あろうことかアメリカに伝わって全米No1となりました。
しかも歌のタイトルは、「sukiyaki」になっていました。
歌詞の内容とは全く関係がありません。
一般的なアメリカ人は、日本のことはほとんど知らないので、一番有名な日本語の「スキヤキ」にしたとのこと。
後にも先にも日本の歌が全米一位に輝いたのは、「上を向いて歩こう」だけです。
オリンピックで日本の選手が入場するときの演奏曲は、これが使われました。
永六輔さんは、自分が作詞した曲が、全米1位になるとは想像もしておりませんでした。
60年安保の相手はアメリカで、いわばアメリカの力に屈した若者のためにつくった歌が敵地「アメリカ」で大ヒットするとは……。

晩年の永六輔さんが病気になって入院した病院で、リハビリテーションを受けるときの励ましソングを聴いたそうです。
その歌は、医療スタッフ全員で合唱した「上を向いて歩こう」でした。
歌っている人は、永六輔さんが作詞をしたとは誰も知らなかったそうです。
歌は、作詞家の元を離れると、ひとりでに育っていくそうです。
歌を聴いた人びとは、昔の作詞した人のことを振り返ることはありません。
むしろ、作詞した人が忘れられたところから、歌は始まるのだと武田鉄矢さんは言っておりました。

歌は世につれ
世は歌につれ
NSPの天野滋さんの「歌は世につれ」は素敵でした。
今ではnoteのotomi320さんのサイトを開くのが楽しみです。
大好きだったNSPの曲が甦ります。
NSPを聴くと、やせガエルや便所虫のように頑張れるような気がします。
生意気だけど、せいいっぱい生きていこう、と思います。
情熱をそそぐのは何でもいい、ということなので、公衆衛生を頑張ります!
