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どんな仕事にも社会的に大きな意義と尊い価値があり、 自分こそが自分の人生の作り手である

稲盛和夫シリーズ第三弾です。

稲盛社長は、中学だけではなく、大学も第一志望は不合格でした。

地元の鹿児島大学に入学します。

一番人気の応用化学を専攻し、昼は実験、夜は図書館での勉強やアルバイトに精を出しました。

優秀な成績だったのですが、地方大学の出身ということで就職がなかなかきまりません。

大学の恩師の紹介で、ようやく就職が決まったのは、京都にある松風工業という会社でした。

専攻した応用化学とは全く関係のない瀬戸物の絶縁碍子をつくっている会社です。

これまで学費などの面倒をみていた両親や兄弟の期待を一身に受けて、明るい希望を抱いて京都に向かいました。

しかし、入社してみると、松風工業は労使紛争に明け暮れ、赤字が続き給料も遅配されるような状態でした。

弱電用の絶縁セラミックの研究を任されますが、職場には実験設備もろくに揃っていません。

劣悪な環境の中で、自分の専門から遠く離れた無機化学という分野で、明けても暮れても粉まみれになりながら実験を繰り返しました。

近くの八百屋から、「若いのに赤字会社で深夜まで働かされてかわいそうだ。さぞかしつらかろう」と慰められたほどです。

半年もたたないうちに、稲盛さんは嫌気がさして、同期入社した5人で会社を辞めて自衛隊に入ろうと決意しました。

しかし実家の兄から、「教授に紹介されて入った会社をすぐに辞めるとは何事か」と反対されて残ることになりました。

稲盛さんは覚悟を決めます。

行くところがなくなり、開き直ったのです。

憂さを晴らすために研究に打ち込みました。

打ち込んでみると専門でもないのに、成果が出るようになりました。

上司にも褒められ、もっと頑張ってみようという気持ちになりました。

同じ劣悪な環境の中で同じ仕事をしても、心に不平不満を抱いて嫌々やるのと、無心になって打ち込むのとでは、結果に雲泥の差が出ることに気が付きました。

自分の仕事に前向きに取り組みようになった稲盛さんは、自分が担当している新しい絶縁材料の開発に成功すれば、日本のエレクトロニクス産業の発展に大きく貢献できることに気が付きました。

モチベーションが上がり、どうしても成功させようと、自ら進んで昼夜を分かたず研究に打ち込みました。

そしてついに、当時のテレビ用ブラウン管には不可欠なフォルステライトという新しいセラミックの絶縁材料の合成に世界で二番目に成功しました。

その素材で作った絶縁部品は、日本のテレビ産業の発展に貢献するとともに、赤字続きの松風工業も救い、その後の京セラの成長発展の起点になりました。

稲盛さんは、こう言っております。

仕事を好きになる努力をした。

すると文句を言わなくなり、お蔭様でと思うようになってから人生が変わった。

最初から好きな仕事なんか世の中にはない。

目の前にある仕事を好きになることが大切。

与えられた仕事が好きになれない人は結局転職するけれど、そういう人はどんな仕事も嫌いだ。

働くことはつらいこと。

でも、それに打ち込んでみると必ず成果が表れて、仕事に惚れることができる。

周りからかわいそうだと思われるような状況でも明るく前向きに一生懸命取り組む。

そうすれば結果として人間的にも成長できる。

どんな仕事にも社会的に大きな意義があり、尊い価値がある。

自分こそが自分の人生の作り手です。

今日のハベレオ通信は、きまった!と思いました。

人のふんどしですが……。

写真は、椎葉村の椎葉吉人さんが撮影した白鳥山の樹氷です。

ご提供をどうもありがとうございました!

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