医師は投薬して萬一の事があれば、毒殺のうたがひを受けはしないかと恐れて、ただ経過を見守ってゐるばかりであつた
日下公人さんの、いま日本人に読ませたい「戦前の教科書」(祥伝社黄金文庫)を読みました。
日下さんは書いています。
学校では、「昔の日本」は戦争をした悪い国だと教えている。
そして戦前は、戦争賛美一色で、国民の生活は抑圧された暗黒時代だったかのように思われている。
しかし、それはまったく事実と違う。
その証拠が、戦前の日本で使われていた教科書である。
当時の義務教育である尋常小学校で、開戦の前年まで使われていた教科書は、国家主義でも国粋主義でもない。封建的な美徳の礼賛をしていたのでもない。
とくに1918(大正7)年から1932(昭和8)年まで使われた教科書は、大正デモクラシー独特の明るさがあり、世界に向かって日本の主張をするという気高い精神が持てるような、またそれができるだけの教養が詰まっていた。
特筆すべきは、それを「国語の教科書」で教えていたことである。
その他、いろいろとおっしゃっているのですが、実際の五年生の国語の教科書にある文章は次のとおりです。

昔ヨーロッパにアレクサンドル大王といふ王があつた。
マケドニアといふ小さな國の王子と生れ、二十一で位につき、わづか十数年の間に四方の國々を征服して、当時世界に類のない大國を建設した英雄である。
其の大王が東方諸國の遠征に出かけた時のことである。
或日大王は部下の精兵を引連れ、焼けつくやうに熱い平原を横ぎつて、タルススといふ町に着いた。
全身砂ぼこりにまみれた王は、町はづれを流れてゐるきれいな川にはいつて水浴びをした。
水は意外に冷たくて、まるで氷のやうであつた。
此の水浴びが體にさはつたものか、王は俄にはげしい熱病にかかつた。
陣頭に立つては百萬の敵を物とも思はぬ英雄も、病気は如何ともすることが出来ない。
ようだいは時々刻々に悪くなつて行く。
医師は皆、投薬してもし萬一の事があれば、毒殺のうたがひを受けはしまいかと恐れて、ただ経過を見守つてゐる。
此の有様を見て、フィリップといふ医師が、一命をなげうつても王をたすけようと決心した。
方法は或劇薬を用ひる外になかつたので、フィリップは真心こめて此の事を申し出た。
王はこころよく之を許した。
フィリップが薬を調合しに別室へ退いた後へ、王の日頃信頼してゐるパルメニオ将軍から、王にあてた密書が届いた。
それにはフィリップが敵から大金をもらふ約束で王を毒殺しようとしていゐるといふ風説があるから、用心するやうにと書いてあつた。
王は読終わって、そつと手紙をまくらの下へ入れた。
程なくフィリップは病室にはいつて来て、うやうやしく薬のコップを王にささげた。
王は片手にそれを受取り、片手にかの密書を取出して、静かにフィリップに渡した。
一口又一口、平然と薬を飲む王、一行又一行、おそれと興奮に眼かがやくフィリップ。
やがて読終わったフィリップが、真青な顔をして王を見上げると、王は信頼の情を面にあらはして,フィリップを見下してゐた。
王は間もなく健康を回復して、再び其の英姿を陣頭にあらはす事が出来た。
これは日本から遠く隔たった外国の英雄譚です。
しかも紀元前四世紀というはるか昔の逸話です。
このような世界史上の偉人が小学校の教科書に登場していたのです。
取り上げた題材の幅広さとバランスに、教科書をつくった人々の教養の深さがしのばれる、と日下さんは述べています。
しかし、噂のあるフィリップを信頼して薬を飲んだアレクサンドル大王は、器が大きいです。
自分だったら飲まないかもしれません。人間の小ささを実感しました。

同じようなエピソードがあります。
日清戦争が終わって、24万人の日本軍兵士を帰国させることになりました。
戦場となった中国大陸や朝鮮半島では、コレラやチフスなどの伝染病が流行していたので、これらを日本に入れないために検疫を実施することにしました。
このような大規模な検疫は、世界のどの国もやったことはありません。
陸軍次官の児玉源太郎は、この検疫作戦を軍人ではない後藤新平を責任者に抜擢して実行させました。
全てをまかされた後藤は、下関にある彦島、広島、大阪など3つの島で大規模な検疫を行ってから、日本本土に入れました。
このため、日本では伝染病は流行しませんでした。
児玉源太郎のところには、「後藤新平ではだめだ、失敗する。辞めさせて、軍人に替えろ」という手紙が山のように届きましたが、まったく動じませんでした。
史上最大の検疫作戦が終わったあと、挨拶に来た後藤新平に、児玉将軍は、その手紙の束を渡しました。
手紙を読んだ後藤は、感激のあまり声が出なかったそうです。フィリップと同じだと思いました。
