見出し画像

私は学校医と学校歯科医は知っていたが、学校薬剤師の存在を知らなかった

産業医大の学生だったときに、公衆衛生学の実習で北九州市内の小学校に行ったことがあります。

4年の前期にある公衆衛生学は、講義の欠席には寛大ですが、実習に欠席するとやばいという噂がありました。

そのため、実習はすべて出席した記憶があります。講義の方は……。おおらかな時代でした。

学校保健の実習で行ったのは、小倉北区の小学校でした。

確か4人グループで行った気がします。

私は3年生の教室に配属されて、教室の前で担任の先生から紹介されました。

先生が私の名前を「しいば」と紹介したのですが、シルバーと聞こえたようです。

生徒たちは、私のことを「シルバー先生」と呼びました。

生徒と一緒に授業を受けて、給食も一緒に食べました。

昼休み時間は、一緒に生徒たちと校庭に出ました。

校庭には大きな木があり、よくみるとカミキリムシがいました。

捕まえたら生徒たちが喜びました。それまで見たことはないと言ってました。

先生のところに行って、「シルバー先生が虫を捕まえ」たと報告しました。

3匹くらい捕まえた私は、子ども達のヒーローとなりました。

午後からは、校長先生や養護の先生から、学校保健について話を聞きました。

学校医と学校歯科医がいることは知っておりましたが、学校薬剤師の存在を知りませんでした。

学校保健法に基づき、学校保健計画をつくって対策を行っていることを聞きました。

大学の教室で講義を受けるよりも断然よく理解できました。

現場における実習は大事だと感じました。教育効果も大きいと思います。

私は「シルバー先生」と呼ばれたことを今でも覚えております。

その結果、金よりも銀のほうが好きです。

本宮ひろ志さんの漫画「サラリーマン金太郎」よりも、「硬派銀治郎」の方が好きです。これは関係ないような気も……

諺にある「沈黙は金」よりも「饒舌は銀」の方がすきでした。

大阪の将棋師坂田三吉の「わての銀が泣いている」はなぜか心にしみました。

金は後ろに下がれますが、銀は後ろには下がれません。

なんとなく「人生」を感じました。

「いぶし銀」という言葉もあります。

歌詞に登場するのは、金よりも銀のほうが多い気がします。松山千春さんの「銀の雨」とかはありますが、金の雨はない。

地名も「銀座」は品がありますが、「金座」だったら少し下品な感じがします。金座という地名があったらすいません。

トンボはギンヤンマが好きです。きつねもギンギツネが好き。見たことはありませんが……。

ビールもギンギンに冷やした方が、キンキンに冷やすよりも美味しい。個人の感想です。

銀の話はさておき、学校薬剤師を配置するきっかけとなった事件がありました。

我が国の学校薬剤師は、昭和29(1954)年の「学校教育法」施行規則で初めて規定されています。

実際には、昭和4~5年頃から随意設けられ、有益な奉仕活動が行われていたそうです。

薬剤師の西川隆さんが、「くすりの社会誌」という本でその歴史を探った話を書いています。

北海道の小樽で事件が発生しました。

小樽新聞の夕刊の記事は、「児童のかぜに誤って昇汞」と概ね次ぎのように伝えています。

昭和5(1930)年3月18日午前11時半、小樽市の奥沢小学校4年生の女の子(11歳)が卒業式の演習中、風邪のため、めまいがすると言って倒れた。

受け持ちの教師は大いに驚き、病気欠席中の学校衛生婦宅に小使いを走らせ、その手当法を聞きにやったところ、風邪で倒れたのならアスピリンがよいとの答えに、教師はあわててアスピリンを誤って昇汞を飲ませたので、生徒はたちまち苦悶を始め、その場に吐瀉して人事不省に陥った。

直ちに教師が付き添い病院に収容し、目下手当中であるが、なかなかの重体である。

3月20日に小樽新聞は続報しています。

アスピリンの所在を再び質したところ、折から来合わせた教師が、アスピリンと書いたボール箱を発見したので、その箱の文字をみただけで、中から小瓶を取り出し、その白いクスリを約1グラム飲ませた。後で小瓶のレッテルを確かめたところ、昇汞と書いてあった。

この生徒は、3月20日午後4時10分に死亡するという悲しい結末となりました。

3月23日の小樽新聞は報じています。

この間、教師は一刻も生徒の傍らを離れず、夜も寝ずに看病したが、いかに過失とはいえ、人命を死に至らしめた罪は免れない。

それに対し、「先生は良い先生だ。許してあげてください」と訴える児童からの嘆願書は600通にも及んだ。

この誤薬死亡事件報道は、教育界を震撼とさせました。

責任の所在は校長をはじめ教育課長まで及んで世論を沸かせました。

その問題点の第一は、何よりも多数の人命を預かる学校で毒物や劇物を並べ、それが区別されずにおかれていたという事実でした。

しかもこれを取り扱う物がすべて無資格者でした。

そのため、学校や関係者は薬品管理上の責任を問われるのは当然ですが、事件の責任や処罰よりも制度の欠陥を是正するのが先決ということになりました。

地元の小樽市薬剤師会は、学校における薬品の貯蔵・管理一切を無償で奉仕することを小樽市長に申し入れました。

申し入れを受けた小樽市は早速に北海道庁と相談、条例作りに乗り出し、各学校に薬の専門家である薬剤師を配置することに決めました。

これが、小樽市が学校薬剤師を移植するに至った発端で、我が国における学校薬剤師設置の先駆けとなりました。

東京、大阪、名古屋にも学校薬剤師が置かれるようになりました。

学校薬剤師は法令に定めもなく、無報酬で手弁当で活動をしておりました。

学校薬剤師は、全国組織をつくって法令化による必置制を求めて運動をしましたが、戦争で要望活動は中断しました。

戦後の昭和29(1954)年7月の学校教育法施行規則により法制化され、長かった無報酬時代は終わりました。

学校薬剤師は「任意設置」でしたが、昭和33(1958)年4月に制定公布された学校保健法により、「必置」が法文化されました。

昇汞とは、塩化第二水銀で消毒薬です。

成人の経口致死量が0.2g~1gの劇薬で、小樽小学校の生徒は成人の致死量を飲まされました。

明治時代から昭和初期にかけて、医療現場での手指や器具の消毒などに使われていましたが、毒性が極めて強く、金属を腐食させる作用があり、皮膚刺激系も強いことから、現在では医療の表舞台からは姿を消しています。

学校薬剤師は、当初は衛生化学の知識を駆使した専門的な立場からの生活衛生的な環境管理が中心でしたが、現在では、薬物乱用防止、医薬品の正しい使用法などの指導が求められています。

学校保健法は、現在は、学校保健安全法に名称が変わっています。


いいなと思ったら応援しよう!