学生時代に松本清張の「半生の記」と出会い、何回も読み返した経験がある
松本清張の「半生の記」は、何度読んでもいい本です。
新潮社の文庫本の裏の案内文には、本書は、社会派推理小説の第一人者である筆者が若き日を回想して綴る魂の記録である、とあります。
日本が破滅に向かって急速に傾斜していいった時代、金も学問も希望すれあもなく、ひたすら貧困とたたかっていた孤独な青年松本清張。
印刷書の版下工としてインクにまみれ、新聞社に勤めてからも箒の仲買人までしながら一家八人の生活維持に苦しんだその時代が今日の松本文学を培ったのであった。
私は、産業医大の学生時代に、「半生の記」と初めて出会い、何回も読み返した経験があります。
その訳は、予備校時代に1年間小倉で過ごし、半生の記に登場するさまざまな場所に親近感を抱いたからです。
旦過橋、古船場、香春口、紺屋町、中島町、足立山、門司、戸畑、若松、折尾、筑豊、東洋陶器、八幡製鉄所といった地名や会社名がなじみだったからでした。

松本清張は、朝日新聞西部本社勤めになった後も、戦後の「生活苦」から、箒を作る副業をしていました。
竹から箒をつくる際に重要なのは、竹を束ねる針金です。
松本清張は、小倉製鋼所に出入りしていた人夫の小田という人と知り合いになりました。
小田氏は、工場から出される不合格品の針金の払い下げに成功していた人物でした。
不合格品といっても新品でした。
機械で針金を巻き取る際に、ちょっとした狂いで針金が糸のように縺れたものでした。
このようなものは、製鋼会社で外に出せないから、不合格品にして半値以下で小田氏に払い下げていました。
半値以下といっても、その縺れた針金を解く手間賃と苦労を考えると、実際ほど安くはなかったのです。
新品なだけに、この縺れさえなかったらと思うのですが、もちろんそういうものですから小田氏などの手に入るのでした。
小田氏は、無茶苦茶に縺れた針金を苦労して巻き取っていました。そのために4~5人の人を雇っていました。
松本清張は、勤務している朝日新聞の西部本社から、昼休みに小田氏の作業小屋に行って、針金の入手を依頼していました。
ヤレ(廃品)といっても縺れを解きさえすれば新品同様でした。
そのため他の仲買がもってくる古針金とは雲泥の差でした。
この針金を佐賀の箒を製造する家に送ると、ひどく喜んでくれました。
このため松本清張の箒の出荷は円滑に行っていました。
ただ、小田氏は、針金を製鋼会社から払い下げを受けるためには、相当の苦労をしているようでした。
倉庫係に付け届けを持参したり、酒を運んでいたりしました。
小田氏は、42、3歳くらいで、猫背の顔に皺の多い人でした。始終真っ黒に汚れているので、落ちくぼんだ眼はいつも光っていました。
汚い兵隊服と、ツギの当たった外套を着こんで前こごみに歩く姿は貧相でした。

そんな小田氏でしたが、小屋はいつもきちんと綺麗でした。妻が片付けていたのです。
妻は、小田氏よりは十歳くらい若く見え、束ね髪でこざっぱりと清潔な素顔をしていました。
その言葉は、古いモンペや綿入れの袖無しといった姿には似ず、言葉も歯切れがよくきれいでした。
小田氏は、そんな妻を可愛がり、東京生まれだと自慢していました。
妻は、いつも机に一輪差しの花を飾っていました。
小田氏は松本清張に、「新聞社に出ているのだったら、家内のつくった短歌を見てやって下さい」と言いました。
松本清張は、小田氏の妻に、歌をみせて欲しいと頼みました。
「お父ちゃんがそんなつまらないことを言ったのですか」と恥ずかしそうに笑って、大学ノートに書きつけた「歌稿」を見せてくれました。
松本清張は、「その歌の文句は忘れてしまったが、貧乏ななかで毎日の生活を愉しむといった歌だったように思う」と書いています。

その後、製鋼会社から針金が出なくなり、小田氏は新聞社に清張を訪ねてきて言いました。
いろいろとお世話になりましたが、今度宮崎のほうに移ることになりました。椎葉というところにダム工事がはじまったので、家内や子供を連れてそこの飯場に行くことに決めました
松本清張は、こう書いています。
私もこの小田にはずいぶん世話になったわけで、そのとき、餞別のつもりでいくらか渡したが、今これを書いていると、彼とその妻は何処でどうしているのだろうかと気になるのである。
椎葉ダムはとうの昔に完成しているから、小田もまたどこかに移って暮らしているだろう。女の子ももう嫁に行っているに違いない。
短歌を詠む小田の妻は相変わらずこぎれいに片付けた家の中で孫を相手にしているかもしれない。
この文章の中で「椎葉」という文字に出逢ったときは、鳥肌がたちました。
まさか、自分の故郷が出てくるとは思いませんでした。それだけに衝撃を受けました。
そのほか「半生の記」で印象深いのは国宝の「富貴寺大堂」です。
宮崎から小倉まで日豊本線で往復するときに、いつも「国宝富貴寺大堂」の看板が目に入りました。
松本清張は、「こういう山中の史蹟のなかに立っていると、私は現実の苦労が一時的にも忘れられた」と書いています。

清張は星座についても書いています。
好きな星座は、冬ならオリオンで、夏ならさそり座です。
オリオン座についての記述が冴えています。
串刺し団子のように三つの星が正確に直線にならび、それをとりまいて正方形にさらに四つの星が一つずつ配されている。
この中の三つの星はあたかも船のマストの信号旗のようにも思われる。
冬の空は澄んでいるので美しい。きらめきの形態になっている。
オリオン星座は私の過去の生活や感情に結びついている。
この星を見上げる私は、絶望、悲哀、孤独といった感情に陥っているときのほうが多い。
漫画家の諸星大二郎さんの「暗黒神話」には、オリオン座が登場します。
物語の始まりに、主人公の敵役が「冬はオリオン座が美しい」とつぶやくシーンは、松本清張を彷彿とさせます。
舞台の一つが大分県の国東半島です。
宮崎に帰ってきて、富貴寺大堂のある国東半島をめぐる旅が実現しました。
なお、オリオン座は椎葉村でも見えます。冬のオリオンは美しいです。
