外科医の老害をどうするか、いつ手術をやめさせるのか、という問題は外科の世界では「ザウェルブルックの悲劇」と言われている
医療技術の開発者にはワイルドなチャレンジャーが多いです。
たとえば、胃潰瘍の原因がヘリコバクター・ピロリ菌だと特定してノーベル医学・生理学賞を受賞したオーストラリアの医師マーシャルがいます。
マーシャルは、胃潰瘍の患者から採取して培養したピロリ菌を自ら飲み干しています。
数日後、激しい嘔吐や口臭に襲われます。内視鏡検査の結果、健康だったマーシャルの胃は胃潰瘍になっていました。大量のピロリ菌が確認されました。
その後、抗生物質を服用することで症状が劇的に改善することを自ら証明しました。
この自分の体を使った人体実験をやったときのマーシャルは、まだ研修医でした。
世界で初めてヒトの心臓にカテーテルを到達させた人物も、ワイルド過ぎるチャレンジャーです。

世界一の心臓オタクの医師であるヴィンセント・フィゲレド先生の「心臓とこころ」(化学同人社)に、ドイツ人の医師ヴェルナー・フォルスマンの行為(業績)が紹介されています。
自分の腕の正中静脈にカテーテルを挿入し、心臓の右心室にカテーテルを到達させ、証拠としてX線写真を撮りました。
決して一人ではできないことです。協力者が必要でした。
1929年、フォルスマンは、手術室の看護師のゲルダ・デフィッツェンを説得して、滅菌済みの器具の調達と処置の補助をしてもらう約束を取り付けました。
実は、デフィッツェンは、彼女自身が心臓カテーテル手術を受けるという条件つきで承諾していました。
フォルスマンはそれに同意を示し、デフィッツェンを手術台に拘束するが早いか、彼女ではなく自分の腕に麻酔をかけ、肘の正面にある溝のなかを走る太い静脈に尿管カテーテルを挿入して心臓まで押し込みました。
フォルスマンはデフィッツェンを起き上がらせ、彼女を連れてX線科へ歩いていき、そこでさらにカテーテルを押し込んで右心室へと到着させると、確認のためのレントゲン写真を撮影しました。
フォルスマンは褒章を受ける代わりに懲罰を受けて心臓科を追放され、その後は転じて泌尿器科に移ることになりました。
フォルスマンがノーベル賞を受賞したのは、27年後の1956年のことでした。
ニューヨークで医師兼科学者として研究を行っていたアンドレ・クールナンとディキンソン・リチャーズが、フォルスマンの論文を見つけ出し、心内圧、血流、心腔を記録するための目的で心臓カテーテル術を発展させてからのことでした。

フォルスマンのことは、防衛省の衛生監のときの「ミリタリーメディスン」に書いていたので、懐かしい思いがしました。
フォルスマン(一九〇四~一九七九年)
ベルリン生まれのドイツ人医師フォルスマンは、アウグステービクトリア病院の外科に勤務していました。
フランス人のマレによる馬を使ったカテーテル検査の論文を見ました。
馬で可能なら人でもできるはずと、一九二九年に、自分の腕の静脈からカテーテルを挿入して六五センチメートル進めて色素を注入しX線で撮影してカテーテルが心臓に達していることを確認する実験を単独で実施し発表しました。
誰も来ない深夜に、看護師と二人で実験したと言われています。
この実験は、危険であり無価値とみなされ、ドイツでは長年無視されました。
一九四一年米国のクールナンとリチャーズが、心臓カテーテル検査法を報告します。
この検査の創始者は、ドイツのフォルスマンであることを明言しました。
当時、米国はドイツと戦争中でしたが、フェアな態度だと称賛されました。
一九五六年に、フォルスマン、クールナン、リチャーズは、ノーベル生理学・医学賞を受賞します。
フォルスマンは、戦争中は軍医としてドイツ軍に従軍し、連合国軍の捕虜となり、戦後は、スイスの小さな病院の勤務医をしていました。
クラブで雑談中に連絡があり、至急自宅に戻るように言われました。
これが、ストックホルムからのノーベル賞受賞の電話でした。フォルスマンは、天国に昇るようだったと語っています。
フォルスマンのボスは、結核の肺除去手術法を確立し、二十世紀のドイツ最高の外科医として医学界に君臨していたザウェルブルックでした。
ザウェルブルックの教室から追放されたフォルスマンは、三流の病院にしか勤められなかったのです。
ザウェルブルックは、頑固、尊大、独善的、感情の起伏が激しく性格的欠陥がありました。
外科医の老害をどうするか、いつ手術をやめさせるのか、という問題を今もなお突き付けており、外科の世界では「ザウェルブルックの悲劇」と言われています。
フォルスマンは、こう語っています。
彼(ザウェルブルック)の教室はしっかりしており、英俊も集まっているのに、なぜ、ろくでもない頭の働かない医師ばかり輩出するのか不思議に思っていた。
(中略)
上司の鞭に震えおののき、ただ卑屈にさえしておれば褒められるといった経験を若いうちにしてしまったら、人は活力を保ち確固たる自信を身につけるのは不可能であるということに気付いた。

実は、私は、二度もザウェルブルックの悲劇に直面したことがあります。
過去の栄光につつまれた高齢の二人の偉大な外科医に「トップから退いて欲しい」と引導を渡しに行きましたが、まさに職を賭した戦いとなりました。
県の圧力で急に辞めさせられるとの情報が、所属する組織だけにとどまらず、医師会、県会議員、経済界にまで伝わっていました。
この件で新聞記者が私に取材に来たことには驚きました。
幸いなことに、知事と副知事が理解してくれたおかげで、私が辞めることはなく、最終的にお二人に辞めてもらうことができました。
「ザウェルブルックの悲劇」という言葉を知っておれば、もう少し優位に進められたかもしれません。
しかし、相手がこの言葉を知っている場合にしか効果はないでしょう。
著名な外科医だったことから、おそらくご存知だったと思っていますが……。
人生いろいろ。外科医もいろいろです。
それにしても、フォルスマンとデフィッツェンのエピソードは、映画になりそうですね。
