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渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎はドストライク的な人選である

現在の紙幣のデザインは、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎です。

私としてはドストライク的な人選です。

経済、教育、医学とそれぞれの分野のパイオニアで、素晴らしいの一言。

やるじゃん財務省!

元厚生労働省労働基準局の職員的に言えば、渋沢栄一は工場法の成立を阻んだという一面もあります。

以下、労働政策研究・研修機構JILPTの濱口桂一郎先生の「日本の労働法政策」からです。

1882年 農商務省が工務局に調査課を設け、労働者保護法の立案のための資料収集に着手。

1887年 農商務省で法案作成するも、各局の意見が一致せず発表されず。

1897年 農商務省は職工法案を起草し議会提出しようとしたが、議会解散のために廃案となる。

1898年 職工法案を修正し工場法案として成案を決定するも、大隈重信内閣更迭のため議会に提出されず。

1900年 工場及び職工の実態把握のための詳細な調査を実施し、1903年に「職工事情」を刊行。

この間、工場法案要領を作成して法案提出を目指したが、日露戦争のため進展せず。

1908年 戦後の労働争議が増大し、世論が工場法制定に傾いてきたことを踏まえ、労働者保護規定を強化した工場法案を公表して国会提出。

夜業禁止に対して紡績業界が猛烈な反対運動を展開。

渋沢栄一の発言

「欧州の丸写しのようなものを設けることには絶対に反対を申し上げたい」

法案撤回となる。

1911年 女子年少者の夜業禁止を5年間猶予、その後の5年間は一定の条件で認めるという緩和を図った工場法案を作成し国会提出。 

貴族院の修正(法の適用範囲10人以上→20人以上)、衆議院での再修正(20人以上→15人以上)を経て工場法成立。

しかしながら、経営者の反対と財政難を理由に大蔵省は施行準備費を認めなかったので、施行されず。

1916年 第二次大隈重信内閣で工場法が施行。

工場法成立に約30年、
法の施行に5年、
法の猶予等に10年って、
一体何? 

そこまで、工場法に反対する必要があったのか?

約20年後に改正される紙幣のデザインは、工場法を応援した大隈重信をよろしくお願いします。

そもそも、明治新政府になり「円」という通貨を決めたのは大隈重信です。

静岡にいた旧幕臣の渋沢栄一を大蔵省に呼んだのも大隈重信です!

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