排泄という行為はナイーブでお互いがギスギスすることがあるが、「しかぶった」という宮崎弁のおかげで笑いに変わった
日向市の文化交流センターで開催された第65回宮崎県精神保健福祉大会に出席しました。
今回のテーマは、「ささえあい~日向(ひなた)から笑顔を発信しよう~」でした。
河野県知事の挨拶では、今朝、椎葉の平家祭りに出席したとおっしゃっていました。
その直後に、椎葉村に住む私の叔母から、知事と一緒に映った写真が送られてきたのではびっくりしました。

宮崎県精神保健福祉連絡協議会の高宮会長は、挨拶でアメリカ人のジョン・ナッシュをモデルにした映画「ビーティフルマインド」の話をされました。
統合失調症に罹ったのですが、多くの人から支えられ、ノーベル経済学賞を受賞するという事実に基づく映画です。
私もビデオで見たことがあります。
統合失調症の妄想や幻聴などの症状が描かれていて、お勧めです。
体験発表をされたピアサポートグループ リフレッシュへべす会の皆さんのお話には胸を打たれました。
地域で支える人たちがいることで、人生をつくっていけるのだと思いました。

特別講演は、シンガーソングライター・講師・司会で活躍されている真北聖子さんでした。
宮崎国スポ・障スポのメッセージソング「ひなたのチカラ」を歌う3人のユニット「ひなたサイン」のメンバーです。
タイトルは、「限りある人生を限りなく楽しむ為に~人生はUPtoME~」です。
もともとは、大分県日田市の出身ですが、9歳のときに母の故郷である宮崎市に移住してきた方です。
バレーボールを小学校から中三までやってきて、ほとんど病気ひとつも罹らずに、学校を休んだこともほとんどないほど、健康でした。
16歳の高校一年生のときに、脊髄動静脈奇形という病気に罹患して、突然腰から下が動かなくなりました。
症状は、胸から下の感覚が無くなり、体温調節ができなくなりました。
排泄障害にもなり、腹筋が動かないことから体幹障害という状態です。
脊髄の血管が突然出血して、激しい痛みのために気を失います。
目覚めたときには、呼吸もできなくて、人工呼吸器が装着されていました。
出血の影響で、肺に水がたまっていました。
このまま命が助からないかもしれない、と母は先生から言われたそうです。
10年後、主治医の先生から言われました。
「聖子ちゃんはすごかった!」
MRIを撮影する際に、人工呼吸器を外して、アンビューバックを押しながら空気を送っていた先生の手を押しのけて、自分でアンビューバックを押し続けたそうです。
入院は2年間続きました。
手術ができる先生がなかなか見つからなかった。
手術後にも再発があったりした。
夢が崩れ、これから二度と歩くことはできない中で、リハビリをする理由がわからなかった。
自暴自棄になってリハの先生や看護師さんに、「私がリハビリをする理由って何ですか?」と聞いたところ、「一緒にがんばろうね」という返事があった。
大きな一言だった。
みんなに支えられて2年間を病院で過ごした。
その後、大分の別府の重度障害センターで、着替えや排泄、移動などの日常生活のリハビリを徹底的にやった。
トータル丸3年かかって、自宅に帰った。
入浴もひとりでできるようになった。
家事、掃除、洗濯もできる。
日常生活は車椅子だが、今日は、車を運転して宮崎市からやってきた。
車は改造して、車椅子が載るようになっている。
片手が使えない人は、ハンドル操作ができるようにカスタマイズした車に乗っている。

つらいことは、多機能トイレや車椅子駐車場を、必要としていない人が使っていて、使えないこと。
車椅子駐車場は、ドアを全開にするために、広さが必要。
セルフガソリンスタンド利用で、手が届かないことがある。
点字ブロックのある場所に自転車が停めてあって、使えないことがある。
障害のある人を見かけたら、もし声をかける場合には、「何かお手伝いすることがある?」と言ってくれると、スムーズに事が進む。
物理的なバリアー(障害)は、心のバリアフリーで解決することができる。
20歳のときに、劇団に入団した。表現することの楽しさを知った。
東京国際フォーラムの音楽オーディションを受けた。
このとき初めて、作詞作曲をした。
応募要件は、「障害者であること」だった。
選者は、平尾昌晃さん、湯川れい子さんなどの超一流の先生方。
29歳のときに、高校は1学期までしか行っておらず、退学したので、もう一度女子高生になりたいと想い、通信制高校に入学した。
4年かけて卒業した。
同級生に70歳代の方がいた。
死ぬまで学び続けたいと仰っていた。
私の足は曲がったままだった。
それをまっすぐにするために手術を受けることにした。
目標にしたのは、結婚式のバージンロードを、自分の足で歩くこと。
実は、このときは、結婚相手はいなかった。
付き合った人はいるが、「好きだけど、車椅子が受け入れられない」と言われた。
相手の親からは「息子が苦労する」と言われた。
今の夫は、東京の人。
宮崎に移住してきた。
私が排泄障害もあることも知っていた。
シーツを汚して落ち込んでしまったときに、夫はにやにやしながら言った。
「聖子、しかぶった」
「この宮崎弁をつかってみたかった」と笑って言った。
排泄という行為はナイーブで、排泄物の取り扱いは、お互いがギスギスすることがある。
しかし、笑いやユーモアがあれば、気まずい思いを軽くすることができる。明るくなれる。
個々の信頼のあるコミュニケーションが大事だと思った。

車椅子がきっかけとなって、環境のせいや、誰かのせいにすることをしなくなった。
環境や誰かが変わることを期待するより、自分を変えた方がいい。
無意識の偏見、きめつけ、先入観は、よくない。
言葉を発する前に、これは偏見、きめつけ、先入観ではないかと、気がつくことが大事。
突然災害にあえば、自分に麻痺がおこってしまうことがあるかもしれないと感じれば、無意識の偏見は無くなっていくのではないか。
私にも偏見があった。
人の視線が気になった。
「若いのにかわいそう」、
「頑張ったら、なた歩けるようになるが」、
「車椅子の女とは付き合えない……」。
こうした言葉に、心が折れて、うつ病になったことがある。
このときは、母の言葉で救われた。
障害があろうがなかろうが、あんたは私の娘。
いつか心が折れると心配しとった。
心が折れてよかった。
この後、キーボードの黒木奈津季さんの演奏で、真北さんは、歌を4曲も披露してくれました。
CDを買いました!
サインをしていただき、写真も一緒に撮らせていただきました。


「UP to ME」は、「自分次第」。
結婚式でウエディングドレスを着て、歩行器を手に歩く映像には、感動しました!
