日本人の時間意識を形成したものは、学校と明治天皇と鉄道の三つである
わが宮崎県には、「日向(ひゅうが)時間」という独特の概念があります。
Geminiに聞いてみました。
日向(ひゅうが)時間」とは、主に宮崎県(旧日向国)で見られる「約束の時間に対してゆったりと構える、あるいは少し遅れて集まる」という独特の時間感覚や気質を指す言葉です。
南国特有のおおらかな県民性を象徴する言葉として使われており、以下のような特徴があります。
主な特徴と背景
「だいたい」の精神 宴会の開始時間や待ち合わせにおいて、定刻ぴったりに全員が揃うことは珍しく、「ボチボチ集まろうか」という感覚でゆるやかに人が集まってくる様子を指します。
てげ(適当・いい塩梅)な感覚 宮崎の方言で「とても」「適当に」を意味する「てげ」の精神が根底にあります。きっちり管理することよりも、その場の空気や心の余裕を優先する文化的な背景があります。
温暖な気候の影響 一年を通じて暖かく、食べ物も豊かな土地柄であることから、あくせくせずに「なんとかなる」と考える楽観的な気質(いもがらぼくと)が育まれたと言われています。
現代での捉えられ方
最近では、単なる「ルーズさ」としてではなく、「ストレスを溜めないスローライフな価値観」としてポジティブに捉え直されることもあります。
ただし、ビジネスの場や冠婚葬祭など、公的な場面ではもちろん時間が守られることが一般的です。あくまで親しい間柄の集まりや、地域の行事などで見られる「宮崎らしい親しみやすさ」の表現として使われることが多いです。
なかなか肯定的な回答で、宮崎県人としては、納得できるものでした。

厚生労働省にいたときに、宮崎県に出向する医系技官が、私のところに、宮崎県の特徴を聞きに来たことがあります。
そのときに、宮崎県を代表する三つの言葉があると解説しました。
よだきい(疲れた tired :定番、通常の疲れた)
ひんだれた (とても疲れた more tired : 疲れたの比較級)
のさん (もうこれ以上はやりたくないほど疲れた most tired :疲れたの最上級)
「よだきい」は普通の状態。よだきいを連発する人を「よだきんぼ」という。これた宮崎県人の標準。つまり宮崎県人=よだきんぼ。
「ひんだれた」は、仕事をやりおえて疲れたという、達成感があり、むしろ快適な状態。
「のさん」という言葉が出たら、これ以上仕事を命じてはいけない。不快な感情があり、危険水域に踏み込んでいる。
「この三つをマスターすれば、宮崎県人と仕事ができます」
そのあと、宮崎県東京事務所の厚労省担当が、私のところに顔を出しました。
こんど宮崎に新しく赴任する人はどのような方か、とさぐりを入れてきました。
私は、省内での仕事ぶりや評判、性格などを伝えた後に、宮崎を代表する三つの言葉を教えた、と告げました。
すると東京事務所の人は、右手の指で丸を描き、「バッチグー」ですと答えました。
しまった。「日向時間」と「てげてげ」を教えることを忘れていましたが、それは現地で教育するので大丈夫と、東京事務所の人は笑っていました。

昨年、高千穂に講演に来られた原武史先生の「鉄道ひとつばなし」(講談社現代新書)を読みました。
そこには、宮崎県で日向時間が生まれた理由を示唆する事実が書かれていました。
原武史先生は、日本人の時間意識を形成したのは、学校と明治天皇と鉄道の三つだと指摘しております。
日本の暦が太陽暦に変わったのは、1873年からであり、明治5年12月3日が、明治6年1月1日になりました。
当時の日本人は、日の長さによって時間が伸び縮みする太陰暦によって生活をしていました。
それが突然、年中どこにいても1分という決まった時間を単位とする生活に変わったのです。
新しい時間意識は、まず学校にもたらされます。
1873年に各県で出された小学校(規)則や小学生徒心得を見ると、差があります。
東北地方では、「毎日参校ハ受業時限十分前タルヘシ」(青森県)とされ、「若し受業の時限に後れて上校する時は、猥りに教場に至るべからず。遅刻の事情を述て、教官の指図を待つべき事」(秋田県)と、遅刻した場合の罰則まで示唆されています。
一方、九州地方ではただ、「出席午前八時ヨリ業ヲ始メ午後四時退席之事」(宮崎県)とあるだけです。
改暦に伴う変化に速やかに対応しようとする東北と、そうでない九州の違いの一端が示されている、と原先生は述べております。

明治天皇は、1876年(奥羽・函館)、78年(北陸・東海)、80年(甲州・東海)、81年(山形・秋田・北海道)の4回にわたり、まだ鉄道のほとんどない東日本各地を回りました。
1881年9月に秋田に滞在したときには、「午前第七時県庁へ臨御ノ節県令警部二名ヲ率イ行在所へ参上、御先導ヲ為ス」などと、あらかじめ「奉迎」の手続きが時単位で決められ、「明治天皇紀」によればほぼその予定どおりに実行されています。
明治天皇の行幸は、地方が新しい時間を体験する最初の大掛かりな機会となりました。
国有鉄道の駅ができるのは、東日本より西日本の方が概して遅くなっています。
青森が1891(明治24)年、仙台が1887年、長野が1888年に対して、大分が1911年、宮崎が1913年です。

1分単位のダイヤグラムで走る鉄道は、太陽暦的な時間意識がある程度浸透した地域でなければ運行できません。
時計を気にする生活が、鉄道の開業とともに一気に広がりました。
1883年には数えるほどしかなかった東北地方の時計小売業数は、1911年には福島県で171店、山形県で105店、秋田県で92店などと、どこも急増しています。
ところが、九州地方は必ずしもそうではありません。
1911年になっても、大分県では13店、宮崎県に至っては1店もないというありさまでした。
大分県は鉄道が開業したばかり、宮崎県はまだ開業していません。
同じ九州でも。鉄道が開業していた熊本県では、時計店の数が1911年には48店ありました。
しかしその4年前には、熊本の地方紙にこのような社説が掲載される状況でした。
痛切の想に堪へざるは、熊本の紳士間に於ける、時間厳守の問題にあらずや
(中略)
熊本社会の知覚は、時間の問題に於いては、全く麻痺し尽くて此の甚だしきに至れるにあるあざる無き歟(か)を疑ふ

明治時代には、宮崎には明治天皇は行幸されておりません。また宮崎に鉄道は開業しませんでした。
宮崎県においては、学校だけが時間意識を醸成するツールでした。
先生方は、宮崎県民に時間意識を植え付けるために孤軍奮闘されて、のさん状態になったのではないかと想像します。
鉄道が開通した大正時代以降の宮崎にも、ついに時計屋が誕生したのだと思います。
先日、宮崎神宮に行ったときに驚きました。
大正天皇、昭和天皇が植えられた木があります。
さらに、伏見宮、久邇宮、梨本宮、三笠宮、常陸宮、東伏見宮、秩父宮といった宮家が植えられた木のオンパレードでした。
恐るべし宮崎。
ちなみに、宮崎県人がよだきんぼになった原因は、神武天皇が働き者の優秀な人材を大和へのお船出のときに連れて行ってしまわれたので、カスしか残っていないから、というまことしやかな話があります。
じゃがじゃが、じゃっとよ。
てげてげでいいちゃがー。
これからも、時計を外して、日向時間を楽しますよー。
