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北原白秋と若山牧水は、「水」に由来した日本を代表する詩人と歌人である

昔、福岡県の柳川市に行ったことがあります。
川下りの舟に乗り、うなぎを食べました。

柳川は「水郷」と呼ばれています。
最大の有名人は、北原白秋でしょう。

水郷柳河こそは、我が生まれの里である。
この水の柳河こそは、我が詩歌の母體である。


北原白秋は、幼い日々を柳川で過ごしました。

19歳での上京後、帰郷の機会は多くありませんでしたが、多くの作品を通じ、故郷への思いをうたっています。

柳川には約2200年前の弥生時代中期ころから人が住み始めました。

平坦な湿地に溝を掘り、水はけを良くして、生活の水を確保したのが、柳川市全域に広がる「掘割」の始まりです。

戦国・江戸期には柳川城下の整備が進められ、この時にできた堀割が現代の原型となります。

明治以降、城の防衛機能はなくなりますが、飲用・炊事・洗濯・船を使った移動手段、川遊びなど、堀割は引き続き、あらゆる場面で市民の暮らしを支えていました。

昭和初期には上水道の普及などにより、暮らしの場としての役割が薄くなっていきます。

堀賄にはゴミが捨てられ、悪臭を放つようになり、一度は埋め立て計画が立てられました。

しかし、当時の市役所の下水路係長の広松伝さんが、住民参加の浄化運動を実施しました。

その運動はこどもの頃に見た美しい堀割の姿を思い出した多くの住民の賛同を得て、4、5年のうちに堀割は再生を遂げたのです。

このように歴史の中で現代まで受け継がれている堀割と、白秋に縁のある4つの施設(北原白秋生家、並倉、三柱神社、沖端水天宮)が、詩聖・北原白秋の詩歌の母体となった優秀な風景であることから、その価値が認められ、平成27年3月に国の文化財指定を受けています。

柳川では水郷(すいごう)という読み方が一般的ですが、文化財としては白秋が水郷の言葉にあてた(すいきょう)と読んでいます。

柳川市の歴史が育み、北原白秋を生んだ名勝「水郷(すいきょう)柳河」を後生に受け継ぐために、柳川市の市民はいろんな取組をしています。

毎年2月の水落ち時に開催される「堀と道クリーンアップ大作戦」といった、堀割周辺の清掃活動が開催されています。

平成24年策定の「柳川市景観計画」では、柳川らしい景観を次世代に引き継ぐための考え方やルールが定められています。

建物は、奇抜なデザインや突出した色彩を避け、まち並みと調和させる

堀割沿いの樹木はできるだけ保全する

堀割に面した敷地は、なるべくフェンスなどを設けず親水性を高める

屋上設備は、通りや川下り舟から見えない位置に設置するか、囲いなどにより直接見えないようにする


川下りだけではなく、堀割沿いの遊歩道の散策など水辺での時間は、堀割への関心や、堀割を大切にする心を育てます。

堀割サップ体験など、水辺を活用したイベントも多く開催されています。

こうした取組に積極的に参加し、堀割を身近に感じることが大事です。

ブルース・リーの言葉と同じです。

Don't think , feel.  考えるな、感じろ
Be Water!    水になれ!

椎葉中学の同級生が、最近、柳川に行き、北原白秋の生家に行きました。

「どちらから来られたのですか?」と窓口の職員から聞かれたので、宮崎だと答えたら、ただちに「宮崎と言えば、若山牧水!」と声をかけられたそうです。

白秋と牧水は早稲田大学で同級生です。

水郷柳河でうまれた白秋と、耳川の清流で育った牧水。

牧水の本名は「繁」です。

牧水という名前は、母親の名前「牧(マキ)」と耳川の「水」とという一番好きなものを組み合わせて作りました。

白秋は早稲田の学生時代には「射水」と称していました。

「水」に由来する日本を代表する詩人と歌人です。

白秋と牧水について、Geminiに聞いてみました。

文学的なスタイルはまったく異なっていましたが、お互いの才能を深く認め合っていました。

白秋:象徴的で絢爛豪華な感覚表現、後には動揺や民謡調の近代詩を切り開いた文芸の才人

牧水:旅と酒を愛し、人間の素直な感情や自然の風景を素朴かつ情熱的に詠んだ純粋な歌人

白秋は牧水の歌人としての天性の感覚や潔さを絶賛し、牧水もまた白秋の圧倒的な美意識と才能を常に敬重していました。

牧水が43歳の若さで病没(1928年)した際、白秋は大きな衝撃と深い悲しみに包まれました。

牧水の葬儀において、白秋は次のような悲痛な弔辞を捧げています。

謹んで若山牧水君の御霊前にぬかづきます。

若山君、私たちはこう突然に逝去されようとは全く思いかけなかったのです。

私たちは君を失って思いかけなかったのです。

私たちは君を失ってひとしく驚駭すると同時に君のため歌のために歌壇のために痛惜の情禁じえません。


若い頃に同じ部屋の下で文学を語り合った友の早すぎる死を、白秋は終生惜しみ続けました。

青春期の早稲田での出会いから始まり、表現の手法こそ違えど、互いに第一線で近代短歌・文学を引っ張り会いながら絆を保ち続けた「暑い友情で結ばれたライバルであり親友」という関係性です。

さながら、明日のジョーの矢吹丈と力石徹か、巨人の星の星飛雄馬と花形満のような関係かも。違うか。

柳川はジョンレノンと結婚したオノ・ヨーコさんの故郷でもあります。

牧水の生家は、日向市東郷町坪屋にあります。

ここに「汚れちまった悲しみに」の詩人中原中也がやってきました。

近くにある若山牧水文学記念館には、昔の牧水記念館の看板があります。川端康成の書です。

後日、「牧」という字を間違って書いたので、書き直すと連絡があったのですが、このままでいいとそれを使っていました。

二人の詩歌から生み出された流れは、いまもみゃくみゃくと続いています。


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