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放課後カルテ第8話「場面緘黙(かんもく)症」〜長男と重ね合わせて泣いた

※重く、長い記事です。どうしても書かずにおれなかったので書きました。読むのは、無理なさらず。

放送当時、「放課後カルテ」を私は観ていなかった。校医の牧野を演じる松下洸平が主演で、去年の今頃放送されていた。
場面緘黙(かんもく)症を扱っていたのは第8回。

場面緘黙症は、特定の場所で話せなくなる社会不安障害の1つで、家では活発に話せても学校などで一言も話せなくなる。500人に1人くらいの割合で見られる。学校単位だと1人いるかどうか。

自閉症スペクトラムと併存とすることも少なくないらしい。

今日の昼間に帰宅したら、不登校な中2の長女、同じく小2の三男、自宅勤務日の夫と、そして場面緘黙症当事者である通信高校在籍の長男が、みんなでテレビの前に座り、Huluでこの回を観ているところだった。

場面緘黙の子は小1の女の子、真愛。

授業態度や成績にも問題のない真愛は、なぜ学校で話すことができないのか。(中略)牧野は、真愛が社会的な場面でのみ声が出せなくなる「場面緘黙」だと判断。クラスでのケアについて吉野にアドバイスし、育て方が悪かったのかと自分を責める彩と一緒に真愛の自宅を訪ねる。(後略)

日本テレビ「放課後カルテ」第8話 ストーリー 

私がみかけたとき、真愛の前の席の女の子、未彩が、真愛の牧野との交換ノートのキャラクターを見て「これ、だあれ?」と聞き、真愛がノートに「まきのせんせい」と書いている場面だった。

「そうなんだ、まきのせんせいを描いたんだね」と、受け止める未彩。

観ていた中2の長女が「この子(未彩)、すごい!」と言う。

話さないこと、言葉ではなくノートに気持ちを書いていることには触れずに、真愛のそのままを受け止める未彩。
線引きがない。

その姿勢に、次女は感嘆したようだった。
ちなみに次女は、兄が場面緘黙症だとははっきり知らない。

ドラマ制作者の、場面緘黙の子に寄り添う姿勢を感じて、私もこの回を見入ってしまった。

真愛役の子も、心の中ではいろいろ考えていると思うのに、それを言えずにいる、その感情を「無表情に見える表情」で表していて、本当にそこに場面緘黙の子を見ている思いだった。

だってね、制作者が、場面緘黙の子に距離を置いていたら、「なんで話さないの?」と言う子がいてもおかしくない。話す側に立って物語を進めることもできるのだ。
そして子役に無表情の演技はさせないだろう。何かしら心で思っているようなお芝居をさせるのではないかな。わからないけど。

ドラマが優しさに満ち溢れていて、胸が締め付けられた。

「話せなくても、真愛は、たくさんのことができるよ」と、真愛に涙をこぼしながら話しかけるお母さん。

無表情(に見えた)だった真愛が、音楽会当日、手をつないだ未彩に勇気をもらったのか、目を上げて客席を観やる。
下げていた手を上げて、歌の振りをし始める。歌に合わせて、口を開けた。

「口を開けた、それだけでも大きな一歩でしたね!」
と、担任。
真愛と一緒に帰るお母さんの背中は、嬉しさに満ちていた。お母さんも苦しんでいたのだ。

あまりに真に迫ったドラマだったので、嫌でも息子の小1から小2のころを思い出せた。

長男は、小1の入学式の直前、「名前を呼ばれたら、はいと答えましょうね」の練習のとき、「はい」を言わなかった。

初めての場所で緊張しているのだろうと、私がそばにいて「はい、と言うんだよ」と耳元で伝えたのを担任の先生は見て「そういう子なんだ」と察したようで、「無理しなくていいよ、立つだけでいいよ」と言ってくれた。

式では名前を呼ばれたとき、立つだけだった息子。
後日配布された学校の便りには「1年生は、元気よく返事をしていました」と書かれていて、なんだかとてもつらかった。
「はい」が言えない子だっていたのに。
学校の求める子ども像から、外れてしまった気がした。

私はそのころ、自閉症スペクトラムとか、場面緘黙とかいう言葉を知らなかった。
息子が自閉症スペクトラムかもしれないと思ったことはあったけれど、自閉症スペクトラムと場面緘黙症との診断を受けたのはその年の6月であった。

幼稚園のころから、あいさつしない、返事しない、ごめんなさいが言えない息子に代わり、友達に「ごめんね、恥ずかしいみたいで。代わりに言うね」と、私が気持ちを伝えていた。

あとから思えばそれもこれも、場面緘黙のためであった。

極度な人見知りでもあったのだと思う。

それにしても、本当に、幼稚園のときから息子の絶対なる味方でいてあげられればよかったのに!

息子には無理させたくはなかったのは本当だけれど、私はそのころまだ、世間体が大事だった。

いずれにしても、入学式のその日から、息子は学校では一切声を出さなかった。

それでも担任の先生は、だんだん心を開く息子のことを気にかけてくれて、耳元でなら話をしてくれるようになったんです、とか、廊下でなら話せるんですとか報告してくれて、一緒に喜んだ。

2年生の秋には、なんと校長室で、校長先生の耳元で九九をそらんじるまでになった。

と思ったところで、息子の限界が訪れた。
その年度の3学期から、息子は学校を「辞めた」。

友達はみんな優しくて、あれこれ世話を焼いてくれたり、絵が上手なんだよと参観日で私に伝えに来てくれたり。

それでも時々「へんなやつ」とか言われると、その言葉のトゲは、小1でもよく分かって、(級友にとっては)突然、怒り出したりもしていた。

この優しい友達たちは、長男が小2から中3までずっと不登校だったにもかかわらず、いつでも長男のことを気にかけてくれて、もう覚えていないのでは?と思える中3でさえ、ことあるごとに「このクラスには◯◯君がいる」と、息子をクラスの似顔絵の中に描いてくれたり、文集の中に書いてくれたりしていた。

その度に、担任の先生と涙を流しあった。

相変わらず場面緘黙は続いているけれど、少しずつ、本当に少しずつ、社会に対して開きつつある長男。

いま在籍している通信高校では、担任兼校長先生の女性が、いろいろなことを笑い飛ばす気さくなタイプでありながら、とても細やかに生徒たちと相対する人で、ちょっと変わった感性を持つ息子に対してもはじめから色眼鏡で見ず、人がとても苦手な特性もよく理解して対応してくれた。

そのため、息子も早くから心を開き、この先生にだけは口を開いて話したりする(聞かれたことに対してだけれど)。

長男は、人に恵まれてきたと思う。
級友、小、中、高校のそれぞれの担任の先生、近所の方々。

将来のことを思えば、そう簡単でないだろう彼の人生を心配もする。親としては、親が元気なうちに生きるすべを身につけるためのノウハウを伝えていきたい。

でもなんとかやっていけるかもしれないという気持ちもある。周囲の温かい人たちのおかげで、ゆっくりながら、彼が自己肯定感を高くもち、未来に向けて歩き出そうとしているから。

よき出会いがありますように。
ゆっくりでいいから、進んでいけますように。

幼い時の傷ついた彼と、いまの羽ばたこうとする彼とともに。

本当を言うと、当時を思い出して、いまも私の心が泣いている。私も未来に進んでいかないとね。

それにしても時々Huluで子どもたちと観る放課後カルテ、想像していたよりよっぽどよかった。
なにしろ、牧野先生(松下洸平)がよい。
こんな人が身近にいたら、子どもたちも先生たちも、親たちも、とても心強いのではないかな。

放送当時は、自閉症や子どもの心の問題を取り扱ったドラマをあちこちでやっていて、半分当事者である私は観るのを避けていたのだった。

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