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たくさん考え学んだ1年でした〜朝井リョウ「正欲」からnoteへ

「noteまとめ」を頂戴して眺めていると。
最もよく読んだクリエイターさんが、ちょっと意外だったので驚いた。

すべての記事にスキをしたわけではなかったし、ここしばらくその方はnoteもお休みしていたからだ。

でも振り返ってみたら、その方は私が初期にフォローした方で、私と同じくらいの時期にnoteを始めたふうだったので、全部さかのぼれるのではないかと、すべて読んでほとんどにスキをした記憶がある。

言葉を濁しながら書くとろくに物事が伝わらないのだけど、この1年の振り返りとともに書いてみる。

なぜその方をフォローしたか。

以前にも書いたけれど、当時中3だった長男から「性的マイノリティーの人を『理解しようとしている』なんておこがましい」と強めに怒られたのがきっかけだった。

理解、という言葉自体が上から目線であると。

朝井リョウさんの「正欲(せいよく)」を長男のすすめで読み、マイノリティーという言葉とか、さまざまな性的指向について、とても考えさせられた。

そのときに、長男にそう言われたのだった。
長男自身が、そのころ自身の性自認や性的指向などについて少し悩んでいるふうだった(最近はそのことについては話していないのでわからない)。

初めてのnoteの記事は、祖母の死とそれにかかわる思いをやや乱暴にしたためたものだった。

私の底辺にはいつも怒りが転がっていて、その乱暴な思いを誰も知り合いにいないnoteに書いてみたかったのだ。

いま思えば読む人のことを考えない独り善がりのものだった。

そのあと、情報を得るための手段としてnoteを利用しようと思い立った。



そのころ朝ドラ「あんぱん」で妻夫木聡がすばらしい演技をしていて、そういえばと前に観た映画「怒り」(吉田修一原作/李相日監督)で、綾野剛と妻夫木聡がゲイの恋人役をしていたのを思い出した。

「怒り」を観直す傍らで(この映画自体は、本当につらくなるのだけど)いろいろ口コミを読んでいたら、ゲイ当事者の方が全部ではないけれど好意的に妻夫木聡の役作りをとらえているように見えた。

それで、「怒り」の感想をnoteで探してみることにしたのだった。

冒頭の「最も読んだクリエイター」さんは、感想を書いている1人だった。

アーティストであり、文筆家であり、プロデューサーであり。「言葉」を持つ人で、日常、アートへの思い、政治への見方、仏教とのかかわり、LGBTQ+への思い、自身の特性、日々のたくさんの人とのかかわりなどが書かれていた。

文章の面白さに引き込まれて、ドキドキしながらフォローした。
フォローバックされて、とてもホッとしたのを覚えている。

その方の過去のnoteをすべて読み返したとき、ゲイとしての思い、生き方、社会への見方や考え方が、少し見えたように思えた。
(高くてしばらく迷ったけれど、この方が書かれた書籍も購入した)

ひとつ記事を読むと関連記事が紹介されるので、ほかのLGBTQ+の方の記事も読んだりフォローしたりした。

LGBTQ+と言っても、人によって、当たり前だけれど考え方も見方も立ち位置も何もかも異なっている。

BLに対しても、楽しんで受け入れる人と女性のためのファンタジーでしかないと一刀両断する声もある。

そういうことも、noteではあるけれど「生の声」を聴くことで知ることは多かった。

noteはたくさんの人の文章に触れ、たくさんの文章を書いたり読んだりするツールで、明らかに私の人生にとって深い彩りになった。

1年を通して、私はずっと性的マイノリティーのことを考え続けていた。

ゲイの方のnoteを読む。

恋バナを読めば一緒にキュンキュンし、失恋話を読めば悲しくなり、ときどきエッチな内容があれば顔を赤らめた。

つづられた日常生活を、時々ふふっとなりながら楽しく読んだり自分の糧にしたり。

その中でも社会への怒りや憤り、悲しみは自分へ向けられた言葉のように受け止めて逐一反省した。

そういうことなのか、と心にささったのは、何人かが触れていた「うそをつかなければならない人生」「自分はないものとしてみなされている」というような文言。

人が「結婚」「異性愛」を前提とした話をする。
そのとき、自分にうそをついて会話に加わる。
そのときの思い。
簡単にスキしてはいけないように思った。
スキも嫌がれているかもしれないと感じたし、私の記事に嫌な思いをすることもあるとも感じた。

いまは同性愛をいろいろな愛の形のひとつとして捉えられている時代で「理解」は広まって、昔よりは生きやすくなったかもしれないけれど、テレビ、CM、いろいろな場面で、まだ「異性愛」が前提の空気が流れ続けている。

そういうことについての「気持ち」が書かれていて、とても心に深く刺さった。

配慮とか理解とかではなく、心の底から「さまざまな立場の人」への思いを持ち続けて、それが当たり前の空気にならなければ、きっと悲しい思いをする人が絶えない。

だからこそ、息子の「みんなが思いやりを持てれば」という、一見青臭くも見えるこの言葉が、たしかに真理であると私も腑に落ちた。

LGBTQ+だけではない、家族に傷つけられた人、心身に病気やハンデのある人、発達障害の人、人を傷つけてしまう人、暴力的になってしまう人、暴力を受ける人、、noteだけでも生きづらく思う人はたくさんいて、それぞれがいろいろな思いを抱いている。

ひとりの人間ができることなんてたかが知れているのだけれど、自分が壊れない程度に、そういうさまざまな人に思いを馳せる人でありたいと、心を新たにする1年であった。

この20年、子育てとそれにまつわる悩みばかりになっていた私に、noteはいろいろなことに向き合うきっかけをくれたと思っている。

人に対して「学び」の道具のようにするのはよくないけれど、学びをくださったフォロー・フォロワー関係なく、すべてのnoterさん、そしてnoteを作って運営してくださっている皆様に感謝です。

若干尻切れトンボのようになったけれども。

来年もまた、よろしくお願いします。
(年内まだ書きますが)

長男との会話と「正欲」に関する記事はコチラです。


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